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モノクロvsカラーの世界

今月まだ記事を作っておらず連続記録が途切れてしまうので急がねばと慌ててカタカタしています。
テーマくらいしか決まっていないときはこうやってキーボードで思いつくまま打鍵するスタイル。

私以外の人にとってはどうでもいい今日のわたしの夢なのですが、金環日食から変化して太陽が四つになったりそれがまた重なって変形したりというアートな日食を眺めているというものでした。
エヴァでラミエルが変形する時のイメージに近いような演出で、あんなスピード感はないけれど、めちゃくちゃ綺麗だったのです。

しかしながら何故かモノクロで。そこがまたアート感を助長していた節があります。

その日食の前には幽閉されて冷凍ミイラになった人を掘り起こして島が崩れるというジブリ調作画の夢など(こちらはカラーで。遺体保存などせずそのまま鍬で破壊するなどなかなか無慈悲。)現実離れした3本立てくらいのボリュームでお届けされました。

私の夢は普段から総天然色なのですが、ごくたまにモノクロの夢を見ます。
見ている時はそれほど意識してなくて、起きて後から気づくパターンです。

色という事に思うところがあって、それというのもおとといくらいに「12人の怒れる男」という映画を見たのがきっかけかもしれません。

私もたくさん昔の映画を見るようになるまではモノクロの作品を見る時に「ちょっと見づらそうだな」とか感じていたりしました。

しかし面白い作品はそんなことはなく、色の強弱やコントラストの違いで色がついているように見えているのかなと思っていたのですが、記憶にある情報から補正されて色がついてるように感じられてくるみたいです。なんとも不思議です。
のめり込むほど自分もそこに一緒に存在しているかのようにすら思えてきます。

黒というのは様々な色が混ざってできているので、実際に光の加減でくすんだ茶色のようなセピア色に見えたりする。実際そういう手法を取って撮影しているカメラマンの方もいらっしゃるようです。
白も緑っぽく見えたり黄色っぽかったりする事がありますがそれと同じく独立しているかのように認識している色であってもいろんな側面を持っています。

そこを補正したりする人間の脳ってすごいなあと感じました。
色だけでなくまとわりつくような汗をかいている人物を観れば、こちらもむわっとこもった湿気の不快感を覚えたりするし、「暑そうやな」とワンクッション挟むことで無意識に考えることなく行っている。

普段私たちが話している言語も外国語に切り替えることによって他の外国語は言語として耳に入ってこなくなる気がするのです。同時通訳の方なんかはそこがとても大変な労力を要するので何分以内で交代するという制限が設けられているのではないかなと思います。

また話が脱線しましたが、カラーの話です。

モノクロがオシャレだというような色眼鏡(白黒だけに)を通した見方もありますが、そういった個人の経験からなる記憶の多様性を内包しているといった楽しみ方もありそうですね。
一概に柑橘系の香りといってもレモンだったりオレンジだったり八朔だったり不知火だったり人によって思い出す香りは様々。

カラーの作品も出力する側によって全然違った色になるし、そう考えるとモノクロの方が自由な発想が出来る可能性を大いに感じます。