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7条解散と69条解散

解散権の根拠についていろいろと見解があるけど、実際の運用はどうなっているのか?を説明している書籍は少ない。

現状、衆議院の解散は7条を根拠に実施されている。そもそも、69条の内閣不信任決議による解散は現行憲法が施行されてから2回しか存在しない

まず初回は1947年の日本国憲法施行後初めての衆議院解散となる、1948年12月23日の「馴れ合い解散」である。この日は上皇陛下の誕生日(平成の時の天皇誕生日)であり、また、東条英機をはじめとするA級戦犯の処刑の実施日でもある

当初、7条での解散が可能か?新憲法施行後の解釈に疑義があった。また、当時はGHQの占領下でもあり、GHQとの関係なども微妙であった。そこで与野党で話し合って、当時の吉田茂内閣に対する不信任決議をみんなで可決することで、総選挙を実施したのである。

その後、次の解散である「抜き打ち解散」は7条を根拠に実施された。それまではGHQの占領下であったが、サンフランシスコ講和条約の締結後であり主権回復後のものであった。この解散の背景には、主権回復による公職追放者の復帰(鳩山一郎派)を嫌った吉田内閣の策略であった。
なお、この解散は無効だ!といして国民民主党の苫米地議員が地位確認と議員の歳費の支払いを止める訴訟を提起した(苫米地事件)。この事件は当地行為論の話で有名と思うが、背景を理解していない人は多い。

なお、もう一度あった、69条解散は「ハプニング解散」といわれる。ザック率説明すると、1980年当時、自民党内で主流派と非主流派による40日抗争という内紛があったため、一部の自民党議員が野党の不信任決議が出ているにも関わらず、衆議院本会議を欠席・棄権したため、野党の多数により不信任決議が通ってしまったために解散となった。
この解散により衆議院総選挙と参議院の通常選挙が同時に行われる衆参同実選挙となった(衆参同日選挙についての可否も議論がある)。また、選挙結果に関していえば選挙中に時の総理大臣大平芳正が病死したことによる弔い選挙の様相を呈して、結果分裂していた自民党が一丸となったため、圧勝した…

以上のような「政治」の話は司法試験の憲法には直接出てこない。しかし、その背景を知ることで、統治の分野の知識が拡充されるし長期記憶になる。むしろこうした実態の知識なしに憲法の統治を勉強するのは苦痛でしかない。昨今の10増10減の定数変更や解散風の背景にはこうした歴史を踏まえた、憲法の実際の運用があることを知ってもよいと思う。

※適当に教え子向けに書いた文章を公開したものです。


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