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Adoが天才?生歌を聴いてそう思う若者は《違い》を知る為に見聞を広めよう。

鵜飼の鵜の戦利は、鵜飼のものである。


前回も少し触れたが、筆者は

《アイドル不要論者》

であり、男女共々、鵜飼いの《鵜》の方には全く興味がない。ジャニタレ、おニャン子、モー娘、坂道系と、時代時代にアイドルやそれ上がりのタレントは常にいたが、結局のところムーブメントを起こしてきたのは、秋元康氏等、裏にいるプロデューサー達である。SPEEDやきゃりーぱみゅぱゅやPerfume、EXILE、最近ではAdoや新しい学校のリーダーズなんかにしても同様だが、要はその成功は、その演者を創造、企画、具現化したクリエイターのの功績だ。だから、演者に夢中になり、

《彼らの代わりはいない》《彼女は天才だ》《唯一無二だ》《同じ時代に生まれて良かった》

などとのたまっている人々は、恐らくは物事の本質や、本物の才能をよく知らない子供であろうと推察する。無論、あくまで個人的見解だが、現代のアイドルや鵜飼の鵜の中に、

余人を以て代え難いなんて逸材は皆無


だと筆者は思う。

Adoが天才?

いやいや、宇多田ヒカルや米津玄師ならともかく、それはさすがにあり得ないと思う。
先日、筆者は娘から、彼女のライブでの生歌を

《パパ、これ、下手すぎない?》

という感想と共に聴かされたが、出来上がった作品の中の歌唱力とのあまりの解離に、いや、ズバリと言えばあまりの低レベルにびっくりしてしまった。彼女のダミ声や歌い回しは確かに特徴的ではあるが、瞬間的では何の意味もない。椎名林檎のように、前提として、生歌で原曲のクオリティに近いパフォーマンスを常時再現できないのであれば、あのダミ声は、下手を誤魔化しているだけの話である。

というか、あれを《上手い》とか《天才》だと本気で感じる人には、そもそも、歌の上手い・下手を見分ける音楽的センスがないと思う。
※ただし、《唱》をはじめ、楽曲はキャッチーで素晴らしいのではないかな?

否、物事の本質を見抜く目がないと思う。

そもそも、人から与えられた楽曲を歌うだけの人間が、天才なわけがないではないか。先述したが、椎名林檎は創作者として唯一無二な上で、優れたシンガーであるからこそ、天才と称されて過不足がないのである。創作抜き、歌い手として、歌唱力のみの圧倒的な才能で天才と呼べる歌姫?

美空ひばり、ちあきなおみ、MISIA、山口百恵、本田美奈子、中森明菜、、、その辺りじゃないのかな?《ちなみに松田聖子も歌めちゃめちゃ上手いからね、今の○○坂に比べたらね》

今の令和の世のアイドルに、そんな逸材はいない。素人に毛のはえたような鵜飼の鵜の代わりなんて、それこそ幾らでもいるものだ。それは、何も芸能に限った話では全くなく・・・そう、例えば或る企業のトップセールスが退職したとしよう。
去り行くその人自身は、こう思うわけだ。

《俺がいなくなってせいぜい苦労しろ》

いわゆる、できる人間の自負と自尊心である。
ところが組織というものは、多少優秀な部品が1つ抜けたところで、小揺るぎともしないものだ。代わりをつとめる人間はどこからかわいてきて、抜けた穴は程なく埋まり、去った人間は、

《あ、そういやそんな人、いたよね》

と思われ、すぐに忘却の彼方へ消えて行く。それが鵜飼の鵜の宿命だ。

人から与えらたキャラ《立場》に収まり、人が決めた衣装《ユニフォーム》をまとい、人が定めた仕事をこなす


エンタメでいえば、例えば音楽。
筆者の感覚でいえば、演者《シンガー》は最下層であり、最上の存在は作曲家・作詞家である。
※秋元康も発言しているが、自分の作品がこの人に歌われたら名誉、なんて歌い手は、昭和という時代を背負う器があった、美空ひばりくらいじゃないかな?

映画やドラマでいえば、これまた俳優は最下層であり、最上の存在は、原作を書いた作家である。監督も、黒沢明や宮崎駿のように、脚本を書ければ素晴らしいが、そもそも論、物語があっての映像化ではないか。で、俳優なんてのは、単なる駒である。無論、飛び抜けて優秀な駒は時々は現れるが→その話はいずれ、追々しよう。

だから世界的なクラシックのコンクールで入賞や優勝をしたピアニストやバイオリニストが、必要以上に絶賛されるたびに、筆者は改めて、歴史に残るのは、そのコンクールの表題になっている作曲家だということを再認識するのである。

演者なんてものは、幾ら研鑽を重ねても、結局は《流行りもの》であり、その中でもアイドルなんてものは・・・まぁ、この辺にしておこう(笑)

ただ1つだけ言えることは、だからといってアイドルに夢中になっている人間に対して《自分の娘を含むw》特に筆者は何も感じないということだ。

個人の趣味や趣向は自由だし、千差万別、十人十色であるべきだ。自分の感覚というのは、あくまで自分という宇宙、自分という世界の中だけに通用する地図である。そう、色とりどりだからこそ、浮世は面白いのではないか。

ただ、筆者は特定の記事や発言にのっかって、あげ足をとって、批判を展開する輩《に関してだけは》完全に無視するようにしている。

さっき、ドラマや映画の監督についても同様に書いたが、そもそも論、物語《脚本や原作》があっての映像化、監督である。で、それと同じく、元になる発言があって、はじめて生まれる寄生虫が批判者なのだ。

誰かの発言のあげ足を取り、炎上させる暇があるなら、自分のマインドをバズらせれば良い。

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