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茂木健一郎氏の「日本のお笑いは全員落第!」発言は、的外れだが、実は、ちょっぴり核心を突いているとも思う。

アイドルの楽曲について

さて、今回の話題に移る前に、以前、脳科学者の茂木氏が問題提起した、

《SMAPや嵐の音楽・レベルが低い論》

について、少し、考察してみたいと思う。

「ジャニーズにだまされる人は、芸術の教養が根本的に欠けている。クラシックからロック、ポピュラーまで、音楽のほんものに触れていれば、SMAPや嵐には騙されない。モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリーを聴いた方がはるかに深く世界に通じる教養が身につく」

※茂木氏の発信より引用

子供でも予想できることだがーーー。

当然ながら《茂木氏が以前にSMAPを絶賛していたこともあり》この発言は、猛烈に批判されることになったらしい。ちなみに、それに対する代表的な反論は、ヴァイオリニスト、崎谷直人氏《筆者はこの人は知らん》の以下の発言だそうな。

「自分で言うのも何ですが、あえて言います。日本のクラシック音楽シーンの第一線で活動しておりますが、ちょっと意味がわからないです。SMAPメンバーの持つ能力や努力、魅力の何がクラシック音楽と比べて騙しなのでしょうか。芸術の教養とは、なんでしょうか」

※崎谷氏の発信より抜粋

この応酬に対しての個人的な感想を述べるなら、茂木氏の発言は、決して荒唐無稽というわけではないように思う。

要は彼は、SMAPや嵐に限らず、ジャニタレやら坂道系、いわやるアイドル全般について、薄っぺらだと言いたいのだ。

うん、まぁ、それ自体は何も間違っていないんじゃないかな?

振り付け師の指示通りに舞う、彼らのダンス。
作詞・作曲者から、あてがわれる楽曲。 

アイドルの紡ぐエンタメとは、商業主義の権化のようなモノだ。AKBの悪例、

《CD購入者のみAKB総選挙の投票権GET》

を挙げるまでもなく、

《推しのホストをNo.1に!》

って商法と、本質や方向性は全く同じである。

イケメンや美女の輝きに心を奪われ、盲目化した一般大衆の慎ましい財布から、庶民の余力の大半を没収する為に用意されるのが、アイドルの楽曲だ。

つまりは、金儲けの為の軽薄な音楽である。

そんなのと一緒にされては、そりゃ、モーツァルトやビートルズもたまったもんではないだろうw

・・・茂木さんの言いたいことは、多分、こういう系のことなんだと思う。

ちなみに、筆者が思い付く、具体例として・・・。

かなり古くて申し訳ないが、CHAGE&ASKAの飛鳥氏、及び、大江千里氏の、光GENJI《ふ、古いw》に対する楽曲提供を挙げてみよう。

飛鳥氏の光GENJIへの提供曲。

  • STAR LIGHT

  • ガラスの十代

  • パラダイス銀河

大江千里氏の光GENJIへの提供曲。

  • 「太陽がいっぱい」 

飛鳥氏がCHAGE&ASKA名義で。
はたまた、千里さんが自身の名義で発表する楽曲、名曲のクオリティを知っている邦楽ファンであれば、彼らが光GENJIに提供した楽曲が、あくまで、若い男性アイドルに夢中になるファンのレベルに合わせて創作された《商品》だと、すぐに気付かざるを得ないだろう。

たとえミリオンセラーになろうともーーー。
チャートで1位を取ろうともーーー。

アイドルが歌う流行歌は、所詮《誤解を恐れずに言えば》子供騙しである。

というわけで、本物のアーティストが紡いだ「作品」と、金儲けの為に作られた「商品」を、比較対象している時点で、茂木氏はナンセンスなのだ。

そしてついでに言えば、敢えて自分が一流だと、自身で宣言してしまった、羞恥心過小なヴァイオリニストの崎谷さんの反論は、単に綺麗事すぎて、筆者には全く刺さらなかった。

なぜなら、ウチの嫁は音大出たピアノの先生なんだけど、彼女のポピュラー音楽への感想の方が、よほどクラシック音楽へのこだわりを感じるから。

《J-POPなんて、子供騙しとまでは言わんけど、簡単やんか?楽譜見たら分かるがな》

ギターのコードブックしか読めない筆者を多少、バカにしたその言い方・・・腹立つわぁwww

ま、でも筆者は《演者は所詮演者論者》なんで、ピアノだろうがバイオリンだろうが海外のコンクールで優勝してようが何だろうが、後世に残るオリジナルなメロディーを創作できない人は、どこまでいっても認めないのである。

だからヴァイオリニストは、情熱大陸のあのメロディを作曲した葉加瀬太郎以外、興味がない。

ピアニスト?

久石譲だけで十分だw

アイドル楽曲にも名曲は存在する

さて、ここまでは多少、茂木氏の暴論にも理解を示してみた。ナンセンスではあるが、言いたいことは何となくは分かる、と。

ただ、ぶっちゃけた話、それでも茂木氏の《アイドル楽曲論》は根本的に的が外れていて、それはもうお話しにもならない程度の低さだと断言できる。

その理由は、《これはオリラジの中田氏にも言えることだが》そもそも笑いや音楽の良し悪しは《教養》ではかるものではなく、《感性》と《センス》ではかるものだからだ。

まさか茂木氏、楽譜を見たりスコアを見ながら、

この和音はレベルが高い
このコード進行はあまり前例がない
このリフは相当秀逸だ
このベースラインは至極独特で素晴らしい
この歌詞の比喩は絶妙で天才的だ

・・・などと、いちいち音楽的分析をしながら、アイドル楽曲を視聴するわけでもあるまいにw

《音楽》や《楽曲》は、共に《学》ではなく《楽》という字で表されるように、理屈ではなく、その人が《楽しむ》為のものだ。

だからたとえ筆者が《子供騙し》だと感じても、そのアイドルのファンが《最高!》だと感じれば、それはまさしく《最高》なのである。

理屈や教養などいらない。

アイドル好きも、アイドルの楽曲好きも、それは自由だし、間違ってもいないし、騙されてもいない。

お笑いも同じく、だろう。

だから教養《もしくは経済力》はあっても感受性が鈍い人間は、笑いや芸術を語るべきではない。
間違って語るとどうなるかといえば、

《俺の笑いが分かるには教養が必要》

《ジャニーズにだまされる人は、芸術の教養が根本的に欠けている》

などという、綺羅星のように燦然と輝く《迷言》を生んでしまう羽目になるのである。

更に補足するなら。

例えば、SMAPの代表曲を2曲挙げてみればよく分かるが、《夜空ノムコウ》はスガシカオ氏の代表曲だし、《世界に1つだけの花》は槇原敬之氏の代表曲ではないか?

逆にSMAPが歌ったからこそ、国民的な知名度や支持を集めた楽曲になり得たのだから、グループとしてのSMAPの価値も含め、それはそれで、やはり素晴らしいのである。

ただ、それは理解しつつも、結局筆者は茂木さん側の人間かもしれない。
だってアイドルなんぞに、1ミクロンの価値も見出だせないもの。

現代の芸人について、個人的な感想

さて、で、ここからが本題。
懲りない茂木氏が再び、お隣のレトリバーも真っ青の勢いで、以下のように吠えたわけだ。

「日本人よ」
茂木健一郎氏が一喝
「小学校5年生レべルの『お笑い』で満足してる」 松本人志や有吉の壁...列挙で痛烈批判

※Yahoo!ニュースより抜粋

要約すると、アメリカの、社会問題を風刺するお笑いには教養があるが、日本のお笑いは、日本に数多ある社会問題に触れもしない、幼稚なものだ、と。

ふむ。
ま、これも、当たらずも遠からずな面はある。

確かにね、日本の芸能人って芸人に限らず、俳優、タレント、ミュージシャン、その他諸々全てが、正直薄っぺらで、本当に教養がないと思う。

ホラ、日本でも鶴瓶師匠が《A-studio》って番組を長いことやってるけれども、アレの本家である、アメリカの《アクターズスタジオ》って番組、皆さん、1度でも視聴したことあります?

ハリウッドの俳優、いわゆる大スター達が、演技を学ぶ大勢の学生さん方の前で様々なインタビューや質問に応えていく番組なんだけど、もうね・・・。

誰が出てきても本当に例外なく、その演技論や作品への想い、人生観や価値観の、何と高度なことか!

とにかく哲学的で、自分だけの言葉を操るのが、向こうの俳優は物凄く巧みなのだ。

話が総じて深く、引き込まれてしまう。

本家を見たら、それこそ《ぼくらの時代》や《A-studio》や《まつもtoなかい》なんて、視聴に耐えないのは事実。

聞き手の質問のレベルも低いし、どんな名優や有名なアーティストが出演しても、ひたすら話が軽くて薄いわけです。

そしてその軽薄の象徴の最たるが、現代の芸能界にわんさかと溢れかえっている《お笑い芸人》であることは、間違いないと筆者も思うんですが・・・。

ただね、茂木氏は何故か、

《社会問題を風刺したり、問題提起したりしない=教養がない=レベルが低い》

という、よく分からん理論を述べるわけですw

いやいやいやいやいやwwww
なんでわざわざ《お笑い》というジャンルで社会問題に触れなきゃいけないかな?w
笑う時くらい、個人の趣味でいいじゃん。

今の社会情勢や社会問題を絡めた作品は、ドラマや映画に沢山あるし、そういうメッセージ性の強い作品を出している作家や漫画化、アーティストだって、日本には山ほどいるではないか?

それに、多分茂木氏は知らないだろうが、彼が否定する松本人志のごっつのコントの中には、
 
《豆》  

のように、思い切り社会のタブーに切り込んだ傑作もあるのだ。

そんなわけで、頭でっかちの人間は《ことごとく的を外すので》専門分野だけを語っていれば良い、ということで、筆者が日本のお笑い芸人の問題点の本質を引き継ごうではないか。

芸人とは、どんな存在か?

一芸に秀でている人のことだ。

それも、練習すりゃできる、なんてレベルを超越していたら最高。

というわけで、筆者にとって、現代、芸人と呼べる最たるは、

《コロッケ》
《いっこく堂》

その両者だろう。
あれこそ、人を笑わせる為の至高の《芸》である。  

ではそういうハイレベルな芸ではなく、笑えるしゃべくりや、キャラの面白さによって、芸人を名乗るなら、どういう人間であるべきだろう?

それは、行動や言動《言葉やワードのチョイス》発想が、強烈に破天荒で奇妙な人である。そしてそういう人には得てして、破壊力抜群のエピソードがついて回るものだ。

ダウンタウンの松ちゃんは、ボケや例えのセンス、人を笑わせる為の瞬発力、発想力が、飛び抜けているタイプの芸人だが、ただ今回の文春騒動後の沈黙を見れば分かるように、彼は《破天荒》からは程遠い線の細さ《気の弱さ》である。

見せかけの金髪と筋肉。
《ケチ》と呼ぶに相応しい経済観念。

あれではダメだ。
お話しにならない。

藤山寛美や林家小染とまでは言わないが、芸人を名乗るなら、せめてやしきたかじん《芸人ちゃうけどw》や横山やすしくらい、豪快でいて欲しい。

松ちゃんがTVから消された後、フライデーに軍団と殴り込んだ後のたけしの記者会見を見たが、

《これぞ芸人》

って感じで、めちゃくちゃ素敵だった。
もし、不同意の性行為が本当になかったのなら、松ちゃんには今からでも、記者会見をして欲しい筆者である。

それから、ダウンタウン以外の、M-1やR-1、KOKをきっかけに出てきた、《NSC》に代表される、お笑い養成所出身者達について。

無論、ブラマヨやかまいたち、小峠やザキヤマさん等、今の売れっ子の中には逸材も沢山いるわけなんだけど、でも、雛壇の若手ガヤ芸人や、いわゆる売れてない芸人の中には、《面白い》から程遠い人間も多数、存在しているわけで。

《面白いを笑いの学校に学びに行く》 

という、最も面白くない発想やシステムに収まり、そこを卒業したらもう《芸人》だと思い込む、大量の《芸人もどき達》には、本当に辟易している次第である。

そんなんが溢れかえっているバラエティーばかり垂れ流している、今の日本のTV。

そらキョンキョンも面白くないと言うわな。

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