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ありのままを書くことができる人

星野源の文章が好きだ。

星野源のエッセイ集『そして生活は続く』『働く男』『よみがえる変態』『いのちの車窓から』も、すでにコンプリート読破してる。

星野源の文章の魅力をうまく言語化できないが、文才があるのは言うまでもない。



その星野源が『いのちの車窓から』のあとがきで、「文章がうまい人」についてふれられていた

文章がうまい星野源が考える「文章がうまい人」の特徴は、非常に気になる。

どんな分野であっても、うまい人が語るうまい人の特徴は、説得力がある

大谷翔平が語る「野球のうまい人」は、間違いなくワールドクラスで野球がうまい人だろう。こういう時にすぐに話の引き合いに出して申し訳ありません、大谷翔平さん。



で、その星野源が述べていた「文章がうまい人」の特徴は何かと言いますと、

これから引用文を紹介しますね。

伝達欲というものが人間にはあり、その欲の中にはいろんな要素が含まれます。

こと文章においては、「これを伝えることによって、こう思われたい」という自己承認欲求に基づいたエゴやナルシシズムの過剰提供が生まれやすく、音楽もそうですが、表現や伝えたいという想いには不純物が付きまといます。

それらと戦い、限りなく削ぎ落とすことは素人には難しく、プロ中のプロにしかできないことなんだと、いろんな本を読むようになった今、思うようになりました。

作家のキャリアに関係なく、文章力を自分の欲望の発散のために使うのではなく、エゴやナルシズムを削ぎ落とすために使っている人。それが、僕の思う「文章のうまい人」です。

つまり、ありのままを書くことができる人のことです。



自分の胸に手を当てて考えてみる。

エゴやナルシズムを削ぎ落として、自分は文章を書けていたか。


否!

「こう思われたい」という欲、満載だった。


・面白いやつだと思われたい

・賢いやつだと思われたい

・性格がいいやつだと思われたい


そんな不純物に次ぐ不純物に、まみれまくった文章だ。

割合が多すぎて、もはや不純物であるかどうかすらも怪しい始末。


金属に不純物があると、それによって電子が散乱され、電気抵抗が発生するのだが、あれと同じだ。

自分の文章に不純物があると、読者の心には抵抗が生まれて、言葉がきれいに届いていかない。

読者の不純物センサーがビビッと反応し、「うーん、なんかこの文章ビミョーだなあ」と感づかれてしまうのだろう。



何かを伝えたくて文章を書くのだが、それをエゴやナルシシズムなしで書くのは、非常に難しい。自分も端くれではあるが、実際に書いている身なので、とてもよくわかる。

不純物をできる限り削ぎ落とし、純度100%までにもっていくには、相当な精神修行が必要だ。それこそ、悟りに近いような。

「書く瞑想」なんて言葉もあるが、あれは実際に精神を鍛えていることを指していたのか。



"さくらももこ"さんの『もものかんずめ』というエッセイを読んだ。初めて、"さくらももこ"さんのエッセイにふれた。

不純物センサーが、いっさい反応しなかった。

電車の中で読んでいたのだが、思わず吹き出しそうになり、笑い堪えるのに必死だった。



さすが、高校時代の小論文模試で、採点者から「現代の清少納言」と言わしめた人だ。


すぐに物を捨てたがる僕の母親の本棚にあったのが、"さくらももこ"のエッセイでした。大事にとってある数少ない本のひとつなのだと思います。そして、僕も初めて読むことで、その理由がわかりました。また別の作品も、読んでみようと思います。

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