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カナヅチからの卒業

みんなは当たり前のようにできるのに、自分にはどうしてもできないことがある。

生きていると一度くらいは、思い知らされることだ。いわゆる、センスがないってやつ。神様は意地悪なもので、誰にでも公平に能力を分け与えてはくれないらしい。



僕にも当然、そのような苦手なことはある。

それは、クロールが泳げないこと。25メートル泳ぎきれないのだ。過去の記事でも書いたことがある。

カナヅチの悲しき運命を知りたい方は、読んでみてね。

大学で出会った友達に指導してもらい、平泳ぎはなんとか習得した。「よし、この調子でクロールも身につけるぞ!」と意気込んでいたが、あまりにも下手くそすぎて諦めてしまっていたのだ。これは3年前の話。


あれから月日が流れ。

最近、再びプールに通うようになった。体と心肺機能を鍛えようという名目で、以前に平泳ぎを教えてくれた友達と一緒に、定期的に泳ぎに行くことに決まった

もう諦めかけているクロールで25メートル完泳。クロールが泳げない自分を納得させかけているけど、本当にそれでいいのだろうか?

今だ。今こそ自分の弱点と向き合い、克服する時だ。



というわけで、久しぶりにプールがあるトレーニング施設へGO。

海パンと帽子を身につけ、プールに入る。懐かしいなあ。室内プールだから、温かい水が全身を包み込んでくれる。


まずは平泳ぎ。まだ体が覚えているか、確かめる。

水の中で体の自由を奪われそうになるが、大きく水をかく。カエルのように足を動かし、上半身とリズムよく連動させる。水の抵抗をできるだけ減らすフォームを意識する。

いける。泳げるぞ。ちゃんと体は覚えている。

しばらく平泳ぎで体を慣らした。



そして、いよいよ難関のクロール。正念場だ。

「いやだぁ!」と逃げたい気持ちを抑えて、クロールを泳ぎ始めた。

ストロークは良さそう。

だがしかし。息継ぎで問題が発生。そうなのだ。昔からずっと、息継ぎでつまづくのだ。

となりで僕の泳ぎを観察していた友達いわく、泳ぎ方が溺れそうになっている人のまんまそれらしい。体がぶくぶくと沈んでいき、息継ぎしようと顔を横に向けたらなぜか水面がある。

これでプールの水を飲んでしまい、よくお腹を壊していた。塩素が混じった水を飲んでるからね。



結局この日は、クロールで25メートル泳げなかった。ちくしょう。自分はやっぱりクロールができないのか。

情けねえ。誰かを助けに行く時に平泳ぎでゆらゆら泳いでいたら、間に合わねぇぞ。

その後も数回プールに通ったが、クロールのコツがいっこうに掴めず、僕の挑戦は退けられた。

このまま平泳ぎだけで生きていくか。平泳ぎができるだけでも十分じゃん。

そう自分で思い込ませようとしていた。




そして先日、またプールに泳ぎに行った。

「まあ、どうせクロールはできないだろうけど、ダメもとでやってみるか」

自分への期待はとっくに捨て去っていたが、クロールを試してみた。

あれっ。息継ぎする時に、苦しくないぞ。体がカナヅチのように沈むことはなく、ゆったりと浮いているではありませんか。

なんだこれ。超楽しい。まだ多少のぎこちなさはあるけど、ラクにスイスイ進んでいくぞ。



プールの底に描かれている5メートルおきのラインが4本目まで来た時、体力はまだまだ残っていた。あと5メートル。

プールの端の壁に、水をかいていた腕をうんと伸ばし、ついにたどり着いた。

やったぞ!25メートル完泳だ!

どれだけ下手くそなクロールでも、泳ぎ切ったぞ。カナヅチ卒業万歳。

ゴーグルの中には、泳いでいる時に入ってきた水だけではなく、いくばくかの涙も混ざっていた。



なぜ急にクロールが泳げるようになったのか、分からない。

これまでクロールで失敗しまくった大量のデータを脳が取り込んで、自分の知らない間に学習しており、ついにブレイクスルーが来たのかもしれない。

かなりの時間を要し、下手くそな泳ぎをさらしまくってきたが、やっとクロールを会得した。

一番嬉しいのは、自分に打ち勝てたことだ。低レベルな次元の話だけど。



そういえば、水泳選手であるイアン・ソープのこんな言葉を思い出した。

成功とは自分の達成度のことだ。他人を気にする必要は全くない。

よし。次はクロールで50メートルを目指してみよう。

彼はこんなに水泳にうつつを抜かして、修士の卒業は本当に大丈夫なのでしょうか。


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