カナヅチからの卒業
みんなは当たり前のようにできるのに、自分にはどうしてもできないことがある。
生きていると一度くらいは、思い知らされることだ。いわゆる、センスがないってやつ。神様は意地悪なもので、誰にでも公平に能力を分け与えてはくれないらしい。
僕にも当然、そのような苦手なことはある。
それは、クロールが泳げないこと。25メートル泳ぎきれないのだ。過去の記事でも書いたことがある。
カナヅチの悲しき運命を知りたい方は、読んでみてね。
大学で出会った友達に指導してもらい、平泳ぎはなんとか習得した。「よし、この調子でクロールも身につけるぞ!」と意気込んでいたが、あまりにも下手くそすぎて諦めてしまっていたのだ。これは3年前の話。
*
あれから月日が流れ。
最近、再びプールに通うようになった。体と心肺機能を鍛えようという名目で、以前に平泳ぎを教えてくれた友達と一緒に、定期的に泳ぎに行くことに決まった。
もう諦めかけているクロールで25メートル完泳。クロールが泳げない自分を納得させかけているけど、本当にそれでいいのだろうか?
今だ。今こそ自分の弱点と向き合い、克服する時だ。
というわけで、久しぶりにプールがあるトレーニング施設へGO。
海パンと帽子を身につけ、プールに入る。懐かしいなあ。室内プールだから、温かい水が全身を包み込んでくれる。
まずは平泳ぎ。まだ体が覚えているか、確かめる。
水の中で体の自由を奪われそうになるが、大きく水をかく。カエルのように足を動かし、上半身とリズムよく連動させる。水の抵抗をできるだけ減らすフォームを意識する。
いける。泳げるぞ。ちゃんと体は覚えている。
しばらく平泳ぎで体を慣らした。
そして、いよいよ難関のクロール。正念場だ。
「いやだぁ!」と逃げたい気持ちを抑えて、クロールを泳ぎ始めた。
ストロークは良さそう。
だがしかし。息継ぎで問題が発生。そうなのだ。昔からずっと、息継ぎでつまづくのだ。
となりで僕の泳ぎを観察していた友達いわく、泳ぎ方が溺れそうになっている人のまんまそれらしい。体がぶくぶくと沈んでいき、息継ぎしようと顔を横に向けたらなぜか水面がある。
これでプールの水を飲んでしまい、よくお腹を壊していた。塩素が混じった水を飲んでるからね。
結局この日は、クロールで25メートル泳げなかった。ちくしょう。自分はやっぱりクロールができないのか。
情けねえ。誰かを助けに行く時に平泳ぎでゆらゆら泳いでいたら、間に合わねぇぞ。
その後も数回プールに通ったが、クロールのコツがいっこうに掴めず、僕の挑戦は退けられた。
このまま平泳ぎだけで生きていくか。平泳ぎができるだけでも十分じゃん。
そう自分で思い込ませようとしていた。
そして先日、またプールに泳ぎに行った。
「まあ、どうせクロールはできないだろうけど、ダメもとでやってみるか」
自分への期待はとっくに捨て去っていたが、クロールを試してみた。
あれっ。息継ぎする時に、苦しくないぞ。体がカナヅチのように沈むことはなく、ゆったりと浮いているではありませんか。
なんだこれ。超楽しい。まだ多少のぎこちなさはあるけど、ラクにスイスイ進んでいくぞ。
プールの底に描かれている5メートルおきのラインが4本目まで来た時、体力はまだまだ残っていた。あと5メートル。
プールの端の壁に、水をかいていた腕をうんと伸ばし、ついにたどり着いた。
やったぞ!25メートル完泳だ!
どれだけ下手くそなクロールでも、泳ぎ切ったぞ。カナヅチ卒業万歳。
ゴーグルの中には、泳いでいる時に入ってきた水だけではなく、いくばくかの涙も混ざっていた。
なぜ急にクロールが泳げるようになったのか、分からない。
これまでクロールで失敗しまくった大量のデータを脳が取り込んで、自分の知らない間に学習しており、ついにブレイクスルーが来たのかもしれない。
かなりの時間を要し、下手くそな泳ぎをさらしまくってきたが、やっとクロールを会得した。
一番嬉しいのは、自分に打ち勝てたことだ。低レベルな次元の話だけど。
そういえば、水泳選手であるイアン・ソープのこんな言葉を思い出した。
よし。次はクロールで50メートルを目指してみよう。
彼はこんなに水泳にうつつを抜かして、修士の卒業は本当に大丈夫なのでしょうか。
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