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失うことは、なんでこんなにも怖いんだろう

心理学の専門書を読んでいた時、得る喜びよりも失う苦しみの方が大きいという、プロスペクト理論を知ってこの記事を書こうと思った。

私も、この理論にとても共感した。何かを得た時の喜びはすぐに消えていくが、何かを失った時のショックはずっと引きずってしまう。

人間は、もともとネガティブなことに強く反応するようになっている。悪い出来事が起こるのではないかと心配できる方が、生存に有利だったから。

楽天的よりは、悲観的すぎるぐらいの方が危険を避けられて、生き延びられる。
この悲観的に考える遺伝子は、狩猟採集民時代から受け継がれていて、日本人は特に悲観的な人が多いらしい。

でも、いくら心配して準備していても、何かを失ってしまうことは必ずあると思う。一寸先は闇だから、不運に見舞われることを全て避けることは不可能だ。


私も、これまで22年生きてきて、「まさかこんなことになるなんて」と思うような出来事をたくさんしてきたし、これからもそんな出来事に遭遇していろんなものを失っていくのだろう。

特に大学1年生の後期に、半年間休学したことが自分の人生の中で、とてもインパクトのある出来事だった。

私は理学部物理学科に所属していて、大学1年生の時、大学の難しい物理や数学の授業の単位を取るのがあまりにも苦痛で逃げ出したいという気持ちと、単位を落とすことができないというプレッシャーの中で苦しんでいた。

単位をしっかり取って4年で卒業する優秀な自分像を失ってしまうことを、とても恐れていた。当時、休学して留年みたいになるなんて、そんな自分を許すことはできなかった。

こういう、「自分はこうあるべきだ」という考え方は想像してみるとわかると思うが、とても精神的にしんどくなる。

そして、大学1年生の11月の時に過呼吸になるぐらいに精神的にしんどくなって、大学に行くことができなくなった。この時人生で初めて過呼吸になったけど、息がうまくできなくて、本当に死んでしまうかと思った。

その後は家族の相談もあって、半年間実家で休養することになった。この時は自分の将来のことなんて、何も考えたくなかった。どうにでもなってしまえと。


だけど、自分の理想像を失って実家で休養しているうちに、心境に変化が現れてきた。

あれほどレールから外れてしまうことを恐れていたけど、いざ外れてみてもそんなに怖くないなと。留年して一年遅れてもしっかり単位を取って卒業すれば、留年が足枷になって希望の企業に入れないかもしれないけれど、普通に生きていけるじゃんって。

大きな挫折や苦難を味わうと、失うことへの恐怖があまりなくなるのかもしれない。私の逆境は小さかった方だと思うが、「失うものが何もない」という状態を少し経験できた気がする。

そんな肩の力が抜けた状態になった自分は、周囲の支えもあってなんとか4年で単位を全て取り切ることができて、ついこの前、卒業することができた。逆境の中で気づいたことも、私の力になってくれた。


失うことを恐れていたけど、いざ失ってみると大したことはなかったということは、案外多いのかもしれない。もちろん、なかなかその失った痛みが和らぐことはなく、時間がかかることもあると思うが。

何かを失ってからこそ、気づく学びもあると思う。大きな逆境に陥った時に、自分に大きな変化が起こるのかもしれない、いや変化を起こさざるを得なくなるの方が正しい表現かもしれない。

これから生きていく中で、大学休学よりももっと辛い出来事に合うと思うが、失うことを恐れすぎず、その日その日を懸命に生きていこうと思う。

最後にある言葉を紹介する。

「失うことを恐れたせいで一体どれだけのものを我々は失っただろうか。」
パウロ・コエーリョ


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