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大事なものはいくつもない

本当に大事なものって、実は案外少ないんじゃないかと思っている。

けれど、本当はそれほど重要じゃないことにエネルギーを持っていかれてしまって、大事なものを見失ってしまうのだと思う。自分にとって大事なものを明確化できていれば、そこに全力投球できる。どこに集中すればいいのか、わかっていないから、あれこれ手を出して、抱えきれない状態になる。

以前の「リソース関数」という記事でも、このことについてまとめた。



でも、その自分にとって本当に大事なものとやらは、どうやって判別したらいいのだろう。

「一度やめてみる」というのが、ひとつの方法として考えられる。一回やめてみて、しばらく様子をみて、それでも「やっぱ必要だよ、これ!!」と思うのなら、それは大事なものだ。

反対に、やめてみてしばらく経っても、特に何も影響の出ないものは、「自分にとって、たいして大事なものではない」ということになる。



僕はこのことを意識して、去年の年末ごろから、断捨離を行っていた。何となくやっていたことを、いったんやめてみることにした。

YouTubeやXを見るのをやめてみた。特に影響なし。

Instagramはアカウントは作ってたけど、そもそも、ばえる写真なんて一つもないから、使っていない。

TikTokも僕より下の世代で流行しているみたいだけど、人が踊っていることに対して興味ないので、見ていない。もちろん、ダンスを見るのが嫌いというわけではない。EXILEとかのダンス見るのが好きで、なんなら自分もよくテレビの前で踊ってたし。


このnoteは?

実は一度、noteから離れていた時期があって、その時にやっぱり、「これは手放してはいけないものだ」と気づいたので、今も続けている。書くことは、自分の中核をなすものだった。

ということで、絶対に必要なものは、自分の場合はnoteだけだった。他のSNSを批判してるわけでは、もちろんない。それぞれメリット、デメリットがある。自分の用途にあったものが、このnoteだけだったというだけ。なので、何かコメントでやり取りする時は、このnoteでお願いします。

その他、使っていないアプリなども消してみた。



いろいろやめてみて思うのは、本当に大事なものって、やっぱり少ないということ。そして、本当に大事なものだけに集中力を投下していると、自分の人生をコントロールしている感覚につながる。

「人生をコントロールできているぞ」という感覚は、幸福度を高めてくれるらしい。たしかに、以前に比べ、何かに振り回されている感覚が減った気がする。新しく物事を始めることはよく目標にするけど、何かをやめることもそれと同じぐらい、いやそれ以上に重要かもしれない。



他に何かをやめてみようかな。そういえば、えっちな動画をスマホで見てしまうことがある。一回あたり、15分ぐらいの時間だけど。3大欲求のひとつなので、この欲求を処理しないのは無理だ。だけど、別に必ずしも動画を見てやらなくてもいい。刺激がつよいし。

よし。これもやめてみよう。ついでに想像力も鍛えられそうだ。



それと「大事」って単語を、くどいほど使い倒してしまったな。まあ、大事なことは、何回書いてもいいか。


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