何者でもない自分
最近エッセイを書いていてよく思うのが、自分の文章は読者に何かを与えられているのかということだ。
僕は芸能人でもないし何かの専門家でもなければ、特別なスキルも持っていない。ごくありふれた理系の大学院生だ。数少ない仲のいい友達がいるけど1人で過ごすことが多いから、毎日ほとんど同じような生活をしている。
大学に行って研究をして、家に帰ってnoteを書く。1人で読書をしたり考えごとをしたりするのが好きで、そのことを文章にしてみたくてnoteを始め、今も続いている。
でもこんな平凡な日常を送っている僕が、エッセイを書いていて需要があるのかなって思う。
一度エッセイの見本を見てみたいと思い書店に行ってエッセイのコーナーで本を眺めてみると、芸能人や何かの分野で大きな活躍をされている方のエッセイが多かった。
有名人や何かの業績を残した人のエッセイが多くの人に読まれるのは当然だ。そこには希少価値があるから。普段などんな生活をしていて、どんなことを思っているのか僕も気になる。
一方、僕にはまだ何の肩書きもないし、何か大きなことをやり遂げたこともない。
物理学を専攻しているので物理の知識はある程度あると思うけど、胸を張って物理を研究していると言えるほどの専門的な知識はない。
趣味が読書でいろんな分野の本(特に心理学や行動経済学)を読んできたので、その知識を入れた記事も書いているけど人生経験の浅い理系大学院生がそれについて説明していても、説得力があるのかなって自分で疑ってしまう。
「社会人になってから言え」って思われても仕方がない思う。アルバイトしかしたことがないので実際に働くことがどれほど大変なのかもわからない。
でも、その辺にいそうな理系の学生であるそんな自分だからこそ書けることもあるかもしれない。自分の淡い期待かもしれないけれど、そう思いたい。
きらびやかな生活ではないけど、毎日を懸命に生きる僕の思いを書き続けていきたい。
まだ22歳しか生きてないけど、それまでに学んで役立った知識を書きまとめていきたい。
これまで1人で孤独に考え続けていたことを誰かに伝えたい。
そんな思いでこれからもnoteを書き続けていこうと思う。
最近は詩にも興味を持って、自分の思いを詩で書いてみたいと思って始めました。まだまだ下手くそだと思いますが、少しだけでもいいと思えてもらえたら嬉しいです!
Twitterもnoteを始める少し前からやっていて、日常のことをつぶやいています。
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