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命の輝く場所を探している(2024.6.1)

度々、noteでも書いていることだが、以前までの私は死にたがりだった。

死にたがり、というより自分がこの先も生きているイメージが湧かない、と言った方が近いのだけれど、とにかく生きる希望をさほど持っていなかった。

なので数ヶ月先の約束をしても、「私、そこまで生きているかな」といつも思っていた。

生きる希望を持てなかった理由は色々あるのだけれど、長いこと心が殺されていたというのが大きいのかなと思う。

中高時代、ずっと暗闇にいるような感覚があった。

髪を切ったり、ペンケースを変えるだけでニュースになり、
「誰と誰が付き合っている」「誰と誰は喧嘩してるらしい」。
お互いのことを監視し続け、あることもないことも簡単に広まり、自分以外の全員をコンテンツとして消費し合う小さな世界。

同じ時間に同じ椅子に座り、同じ方向を見て、何十人かで同じ人の話を聞く、狭い教室。

決められた髪型、みんな同じ制服とジャージ、朝から晩まである授業と部活動、当たり前のように敷かれる人生のレール。

脳みそに沢山の情報を詰め込まれ、外の世界に行くという選択肢を考えるような余白も与えられず、学校という空間でずっと心が殺されていた。

高校1年の私。ハイトーン大好きな私にも黒髪の時代はあったよ

やっとこの生活も終わる!!!と思い大学に入学したのが今から3年前。
でも、約6年間殺されていた心の動かし方なんてすぐに分かるわけもなく、リハビリ期間が必要だった。

自由でのびのびと生きる人たちに出会い、沢山の経験を通して、酸いも甘いも知った事で、自分がどんなことで心が動くのかようやく分かるようになった。

最近の私はやりたいことが沢山ある。
数ヶ月先に生きているイメージも湧かなかった私が、今は半年後のライブの予定をうきうきでカレンダーに入れている。

頭を抱えちゃうくらいやりたいことが溢れていて、仕事も居る場所もコロコロ変わったり増えたりするので、どこにいるの?と聞かれることが増えた。

昔とは打って変わって、今の私は命が輝く場所を探し続けているのだと思う。

好きだけど、どうしても苦しかった東京生活を一旦終わらせ、来週には熊本に引っ越す。(まだまだ準備は終わっていないのだけれど)

どんな生活が待っているだろう。楽しみ。

この一年、どんな時も自分には帰る場所があることが心の支えだった。沢山笑い、泣いた部屋、ありがとう。




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