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【気軽に書評】『7つの階級 英国階級調査報告』マイク・サヴィジ著, 舩山むつみ訳, 東洋経済新報社, 2019年.


見たいイギリスと見たいイギリス人 

 4月にイギリスに来てからいろいろなことがあった。私の身の上に、というだけではなく、イギリス人にとってもまた2022年は忘れられない年になるだろう。
 ひとつには女王の即位70周年がある。それだけでも「グラナダはいい時にきたね」と何人かの人たちに言われた。ここですぐに付言しておかなくてはいけないのは、英国王室などなくてもいい、という人も私の出会った人の中にはいた、ということだ。
 それから9月の死去。「グラナダはすごい年に来たね」と言われた。その時のことについてはnoteの記事として書いた。

 今年はボリス・ジョンソンの首相辞任による保守党党首選があり、リズ・トラスが女性で3人目の首相になった。そして歴代最短の45日後に辞任、とつづく。そしてこれからまた新しい首相が誕生する。首相が二回辞任して二人誕生する年になる。

 以上のようなイギリス人たちのできごとは、「上流階級」あるいは「トップ」の人たちの話しだ。このような人たちの様子はむしろ、日本にいた方が見聞できているかもしれない。先の記事にも書いたが、イギリスとアメリカの違いがよくわかっていない日本にいる私の母の方が、イギリスにいる私よりもバッキンガム宮殿周辺の様子と国葬に詳しくなった。そういう母にとっての「イギリス人」は、今後チャールズ国王に象徴されるのだろう。日本にいた方が「見たいイギリス」や「見たいイギリス人」だけをより多く見ることができるし、そういう「イギリス」がもっぱらメディアで報じられることになる。

どうして「英国階級調査」は盛り上がったのか

 オリジナルは2015年に書かれた『7つの階級』は、BBCによって実施された英国階級調査の結果をもとにしている。2011年1月26日に開始され、2013年6月末までに32万5000人が回答した(p.377)。「ウェブ上で、所得や貯蓄、住宅の評価額、文化的な興味、社会的ネットワークなどについて簡単な質問に答える」(p.5)ものなのだが、回答に20分はかかるし、きわめてプライベートな質問ばかりなので、それほど多くの人が自発的に参加すると主催者たちは思っていなかったそうだ。
 人びとはなぜこの調査にこぞって協力したのか。それは回答後1分もたたないうちに「自分の属する階級」を教えてくれる仕組みになっていたからなのだ。質問に答えていくと最後に「あなたは〇〇階級です」と教えてくれるのだ。
 「イギリスは階級社会だ」とはよく言われるけれど、これだけではイギリスの何も説明したことにはなっていないし、日本だって十分に階級社会だ。政治家の例で言うなら、二世、三世議員などめずらしくもなく、四世誕生の時代に入ってきている。富める者がさらに富み、貧しい者が自己責任のかけ声のもとたたき落されることもありうる社会だ。階級は受けつがれ再生産されているというのは、もちろん何もイギリスや日本に固有の話しではない。

自分の「階級」をわざわざ知りたいのは誰か

 ともあれ、ではどんな人たちが「どれどれ自分はどの階級かな?」とわざわざ知りたがるだろうか。実はここがこの調査の弱点であると同時に、とても興味深い点でもある。結果として回答者は「平均的なイギリス人とはかけ離れて」(p.7)おり、属性に大きな偏りが出たのだ。この調査に関心をもったのは「経済的に恵まれた、高学歴で経営や専門職の仕事に携わる人々の参加率が高く、肉体労働者や少数民族の参加率が低かった」(p.13)。
 もちろんこの調査には本書の著者を含む多くの学者が協力しており、データの偏りをさまざまに補正したり別途インタビューをしたりしているので、信ぴょう性がないということではない。「イギリス人の大部分が属する中間層は、非常に複雑な様相を呈している」(p.85)といったことを知るには適した文献だ。

行方不明のプレカリアート

 では7つの階級とはなんだろうか。趣味嗜好を含む文化的な資本、収入や資産といった経済的な資本、どのような人とつきあっているかという人間関係を含む社会的な資本、これらの多寡で並べると、「エリート」「確立した中流階級」「技術系中流階級」「新富裕労働者」「伝統的労働者」「新興サービス労働者」、そしてすべての資本に恵まれていない「プレカリアート」ということになる。ここで強引にたったの二行で述べた以上三つの「資本」であるが、これをどう考えるかというのは本書の大きなテーマであるし、社会学的にもとても重要なテーマであり続けている。また階級を7つに分けた理由や、それぞれの特徴について本書は丁寧に説明していく。
 
 「自分の文化的知識と自信を示すために」利用した人たちも多いこの調査において、「プレカリアート」階級に属する人びとは、なかなかデータが集まらなかった、自発的な参加が見込めなかったという意味で「行方不明の人たちである」(p.300)。
 しかしもちろんこの調査でも、なんとかそれに該当するような人を探しインタビューをするなどしてデータを補完しようとする。しかし「それに該当するような人を探す」とはどういうことだろうか、という大問題にぶちあたる。「社会の最下層の階級をつきとめることは、その階級の人たちに烙印を押す行為に加担するリスクを冒すということだ。確かに、英国階級調査自体が社会の最下層の人々を蔑む効果を持つ策略に加担してしまっていた」とも、さらには「階級分類と他者を貶めたいという動機が結びつく力を、強烈に明らかにした」ことについても言及している(p.304)。調査自体に内在する暴力性について、それが階級に関するものであればなおのこと、調査をする者はつねに自覚的である必要があるのだ。
 さて、プレカリアートの「行方不明」という点については、別の面からも考える必要があるだろう。「それに該当するような人」かどうかが分かりにくくなっている現状についての考察である。あらゆる意味において「一見しただけではわからない貧困」が存在する、貧困を不可視化するような装置が社会のいたるところに潜んでいる、ということについてはまたあらためて考えたい。 

マンチェスターにおける階級と地理

 そしてこの本の中で、実はいちばん印象に残ったのは以下の箇所だった。

 英国階級調査のイギリス各都市のデータによると、マンチェスターは都市中心部へのエリートの集中が最も大きく、階級と地理の関係を示す典型例である。
 マンチェスターのエリート層は都市中心部内の南側の高級住宅地に集中している。第1に、この都市では南北問題がはっきりしている。高級な郊外の住宅地の大半は市南部にあり、支線道路や鉄道網で、オックスフォード・ロード沿いの大学や総合病院につながっている。(中略)
 ディズベリー、チードル、チョールトン=カム=ハーディといったインナー・サバーブ(中心部に近い郊外の住宅地)も、近年人気が上昇している。ディズベリーとチードルは元々何世代も続く中流階級が住む地域で、何十年もの間高い地位を築いてきたが、チョールトンは1960年代にはアイルランドからの移民を抱える圧倒的に労働者階級が多い地域だった。 

 『7つの階級』pp.242-243 

 私がマンチェスターに来てすぐのころ間借りしていた部屋は、引用の中にある「南側の高級住宅地」と「ディズベリー」の重なるエリアにあった。家主はヨーロッパ大陸出身で夫婦ともにイギリスで学び、フルタイムの専門職で共稼ぎだ。娘たちが出ていったあとの部屋をとても安くで貸し出していた。そこでの暮らしについてはまたいずれ書くのだと思うからここでは割愛するけれど、豪勢でもあり瀟洒でもある家の広い庭で大型犬四頭を遊ばせ、二台ある車のどちらかでレイク・ディストリクトへ保養に出かけ、散歩やヨガやサイクリングをしたりしながらベジタリアンとして、ふたりは暮らしていた。
「確立した中流」のサンプルだ。

「行方不明」であり続ける人びと

 2022年はEating or Heatingの冬が来るといわれている。物価高騰と経済的困窮で、食べものをとるか暖をとるかの選択に迫られる。それは日本も同じだろう。そして「政治に影響力などないと感じていれば(低所得者、特にエリートや専門職の人々と接点がない人々)、自分の利益になるように政策を変える努力をする可能性も低いだろう」(p.147)というのも同じではないか。
 2022年は忘れられない年になるだろうと冒頭で書いたが、それは「上流階級」や「トップ」をめぐって起こった出来事のためだけではない。
 この本で書き表されているような、あるいはとても書ききれない、いかなる「イギリス人」によっても象徴しつくせない、「行方不明」であり続けるしかない多数の人びとの身の上に起こっていること、これから起こりうることのため、忘れられない年になってしまうかもしれない。


写真:マンチェスター「南側高級住宅地」の庭木(2022年5月15日)


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