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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり  パート7


 修養科棟の教室は昔懐かしい雰囲気のする部屋でした。机も椅子も二人用の長いもので、特に椅子は畳表が敷いてあり休憩の時などは横になる人もいました。
 別席の時も同じ椅子で背凭れがないので、居眠りしてひっくり返りそうになることもありました。

 その教室に集まっている人も話に聞いていた通り、若い人もいれば年老いた人もいて雑多な夜間中学のような雰囲気でした。男女別のクラス編成なので男性ばかりでしたが、ご主人に付き添っている奥さんもおられたりしました…ヤンチャそうなグループを意識しながら私は居心地のよさそうな人の近くに席を取りました。
 教室には系統の違う大教会所属の人が全国から集まって来ていて、湖東グループも一塊にはなっていましたが、やはりだんだん気の合う人が集まるようになって行ったように思います。

 天理教は黒い法被が正装なので、全員ハッピ着用で男は黒い帯で腰を締めるようになっていて女性はベルトでした。胸には名札を付けるのですが、一期生は赤、二期生は黄色、三期生になると青と決まっていて、それは信号の色の意味と同じだと聞かされました。

 私もそうですが殆どの人が訳も分からずに連れてこられたようなメンバーが多かったので、途中でリタイアするようなケースもあったようです。男女別なのは若い人が多いということもあり、「色情因縁」を積まないように配慮されているのだということでした。
 そうは言っても、3か月いる間にはそれ相当の事件が起き仲良くなる人もいれば喧嘩も日常茶飯事だったようで、そのためにクラスには正副二名の担任の先生が各教会から選抜され修養科生同様全国から派遣されていました。
 授業には教理や鳴り物を教える一期講師の先生が担当されたりもしましたし、各詰所には一緒に寝起きを共にして世話取りをする教養係の先生が専門に勤められていました。

 修養科が始まって直ぐに面接を受けました。そこでどのようなことを聞かれ話したのか忘れましたが一応そこで審査されて三ヶ月が始まりました。面接で殆ど落ちることはないようです。ただ、やはり他の人への影響とか生命に関わるような事例をチェックされているようでした。
 そこでクラスの組係という役目を受け持つ人が修養科生の中から選ばれました。授業の担当・ひのきしんの担当・お手振り・鳴り物担当の三名の人がそれぞれ選ばれます。事前に書類選考で教会長の子弟など、ある程度お道に慣れている人や任せることの出来る人が指名されているようでしたが…

 一回目の修養科はもう40年ほども前になるので正直どんな授業だったかとか先生や仲間の顔も思い出せないくらいですが、覚えているのは、授業中親しみを感じていた湖東詰所の同期生でかなり高齢だった人や他系統でしたがよく話をさせてもらっていた塾年男性の似顔絵をノートの隅に描いては楽しんでいた事でした。
 お二人共信仰歴もあり、ひょうひょうとした感じの人で年齢を感じさせないユーモアセンスのある方でした。 

  授業は「天理教経典」・「教祖伝」・「みかぐらうた」の教材を基にして進められていたようです。私は初めて聞くような事ばかりでしたので殆ど右から左へと流れて行ってしまったようですが、その後も繰り返し聞かされたことでもありますので、やはり「」ということを重んじるというのは分かるようになりました。
 泥海の中から道具衆を引き寄せて、親神が人間を創造してその陽気暮らしをする様を共に楽しもうと思いつかれ、気の遠くなるような歳月や努力を重ねられた「元の理」から始まり人間が次第に成人して今のような世界になっているのだということでした。

かしもの・かりもの」の理も大事な理合いで、人間の体というのは神様から貸してもらっている物であり、借りている物だということです。「心ひとつが我がの理」と言うので、心の使い方が問われて来るということになるようです。
 お道では罪とか汚れのようなことは言われず、「八つのほこり」が人生の様々な障害「身上(病気)・事情」の原因となっているのでそれを積まぬよう・払うように、することが日日の生活には大事だということを強調されます。
 そうしてこの世にあって親神の思し召しに適うような心使いをして成人し、やがて着物を脱ぐように出直して再び生まれ変わって因縁のある家に出変わって来るという輪廻転生の話はなかなか簡単には理解できるものではありませんが、それを分かるようになれば成人した証拠だともいえるのでしょう。

 


 


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