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公衆電話

12・面会

 

 病院では集団療法もあり、絵を描くこともあった。ちょうどその時間に、妻と義理の両親が面会に来てくれた。
 精神病院への入院は名誉なことではなかったから他人には公にしてなかったので、それまで誰も面会に来るようなことはなかった。実の両親ですら来てはくれなかった。

 妻の両親は僕の描いていた絵を見せてくれと言った。結婚当初から自分でも絵を描くのが趣味だった義母が、僕の絵の最初の理解者でもあって額に入れて飾ったりしてくれていた。
 義父は背中でものを語る人だった。妻は子供の頃のトラウマがあって父にはなかなか心を開けないようなことを言っていたが、僕は実の父より尊敬していた。
 義母はセンスもよかったが、それ以上に優しく忍耐強い人だった。
「人は冬が嫌いって言うけど私は好きやよ。冬のほうが落ち着いて好きなことが出来るしゆっくり楽しめるでね」
よくそう言っていた。

  妻は留守中の家族の様子を少し話してくれ、僕に対してはあれこれ考えず絵本でも描いて過ごせばいいというようなこともアドバイスしてくれた。(今になってそんな覚えはないと言っているのだが。。)
 一方で公的な福祉援助や年金などの申請をしたらどうかと提案して帰って行った。
 その時僕の方からは入院中の苦悩や恐怖も打ち明けたが、それ以上に快適に過ごしていることを報告した。
 面会はその一回だけだったが、だんだん入院生活に慣れてきた僕の気持ちを家庭の方へ向けることになって行った。
 
 やはり嬉しかったのだと思う。

 気が違うとか気が触れるとか言う。キチガイなどと云う言葉は現在は差別用語と云われるが、ここでは当事者の使うということで許されたい。狐憑きとかいった表現もされるが、人間の本性としてダーウィンの進化論に拠らずとも誰もがどこかで動物とのつながりを感じるのではないだろうか?
 人間はやはりさまざまな動物の過程を経て人間となって来たことに…

 正に僕が発症した場所は稲荷が祀られていた。
「熊野のクマを救けて!」
というメッセージにも動物が登場する。神事を見守っていた施設の玄関には北極犬のような大きな動物がいたような幻想もあった。
 入院した病院にも常に動物の気配を感じたものだった。

 人間も生物として生き延びる為には、やはり他の植物や動物の生命を必要とする。

 病院の食堂で座ったT君が、突然
「あの入口にあるエジプトの王妃の像は猫と深い関係があるらしいよ」
と言った。エジプトの神殿の壁面には猫や犬が人体と合体した神像が描かれているのを思い出した。
 また、結婚した時妻の実家で最初に泊まった朝、鶏や山羊のなく声で目覚めたのを思い出したし、母方の里では牛を飼っていて祖母が絞った乳で甘いミルクをおやつに出してくれたのも思い出した。

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