見出し画像

公衆電話

4・メッセージ

 空間もどういう構造になっているのか、部屋の上の方からぐるぐる音というのか気配のようなものが僕の周りを渦になって取り巻くこともあった。

 一番強烈だったのは、言葉にできないくらい圧倒的な存在がどんどん近づいてくる気配を感じたときだった!それは恐らくものすごく年老いた女性で偉大な雰囲気のする存在感だったので、僕は頭を床に擦り付けてひれ伏すしかなかった。あまりの恐怖心で頭を上げようという気にはならなかったから、イメージにしろそれが本当に女性の気配なのかも確認できなかったのだが。。

 
 コンピューターやインターネットの世界は20世紀になって登場した。複数の天才たちの人生のドラマの中で沢山の不条理で苦難の末に多くの不思議な出会いの連鎖を経て進化を加速させてきた。
(しかしそこに広がる宇宙はもともと在って永遠に変わらない世界であるというパラドックスも含まれているのだが…)

 僕が発症に至る経過のスタートはパソコンを手に入れインターネットの世界に触れたことも一因になって始まった。 
 ネット上のやり取りは顔の見えない不特定多数が対象になるのは言うまでもないが、利用者の欲求にこたえてその目的に対応する信号が送られて来る。
 不特定多数といっても、利用者間には信頼関係が築かれていくことになる。相手がコンピューター地震の計算か悪意を隠した第三者か、或いは宇宙人からのメッセージであったとしてもである。

 『 熊野のクマを救けて欲しい❕ 』

 そのメッセージは突然何の脈絡も送られてきた。そしてそれを受け取った僕は何の躊躇もなく神からの依頼のように受け取った。

 僕は本厄の前後から文字通り人生に行き詰まっていた。どう考えても理不尽な事ばかり起きて、自分では悪循環の連鎖を断ち切れなくなった。
 そこで僕が試みたのは、それまでも信じていた信仰に一心不乱に打ち込むという選択だった。折しも三年千日の間、心を定めれば救われるという期間だった。
 母などは自分の若い頃の友人の思い出があってそれを心配して、
「あんまりのぼせると信心キチガイになるから、ほどほどにしとけよ」
と言ったりした。
 しかしそういわれると一度燃え上がった火はますます勢いを増しそれは自分に降りかかってきた難問を解く唯一の手段と、躍起になって思い定めた通りに常軌を逸した生活に更にのめり込んでいった。
 
 普段ならやらないような事や言わないような言でも、意を決し勇気を振り絞って思いつく人を手当たり次第に訪ねて試みた。仕事の休みを利用したり寝る間も惜しんであちこち回ったりしたので心身の疲労もかなり溜まっていたのだと思う。
 周囲の人の噂になることにもなっていただろうが、そんなことは気にしなかった。
 
 しかし、その頃から道行く見知らぬ人が訳ありげに自分を見ているように感じられるようになった。それは悪意というより応援とか期待を込めての視線のように思われたのだった。

 程なくして僕はネットを介して人に会う約束をした。場所は実家の近くにある観光地でもあり、日本で最初に造られた水力発電所の為に川が堰き止められダムが建設されて出来た人造湖の畔にあった。
 
 僕は意志をもって人に会うということであろうことか大きな石を車に積んで向かった。その途中の道でもやはりすれ違う車や歩行者からの視線をエールのように感じた。

 しかし結局待ち人はいくら待っても現れず、相当長い時間待ちぼうけを食わされた・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?