和助挑新

アンデルセンの有名な童話「裸の王様」は、詐欺師の仕立て屋が「賢いものにしか見えない布」で洋服を仕立て王様に売りつける。王様自身も、家来も含めて全員が、見えているフリをする。パレードを見た住民も新しい洋服を身にまとったらしい裸の王様を褒め称えてしまう。そして、最終的に子どもが「王様は裸だ」と言うまで、誰からも本当のことを言ってもらえなかった。慣用表現にもなっている、なんとも皮肉な話しだ。

はだかのおうさま【裸の王様】〔アンデルセン童話の題名から〕
直言する人がいないために、自分に都合のいいことだけを信じ、真実を見誤っている高位の人を揶揄する表現。「理事長は今や━だ」

大辞林

この時、家来や住民たちは、「おかしい」と思ったり、気づいていたはずなのに、周りの空気を読んで同調してしまう。このような状況を社会心理学用語で「多元的無知」というようだ。

私たちの身の回りにも、よくよく考えると「おかしくないか?」がたくさんあふれている。
職場の動線が悪かったり、無駄なことをしているように見えたり、理解できない指示があったとき、どれくらい、「おかしい」と声をあげたり、その意図をもう少し深く突っ込んで確認、理解しようとしているだろうか?

裸の王様と何も言えない家来や国民で構成された国に繁栄は期待できない。周りの話しを聴こうとしないリーダーと忖度するメンバーからなるチームも同様だ。

・余計なことはしない
・決まった通り(前例に倣う)にする
・ミスは注意・叱責する
こういったリスク回避型の考えではなく、建設的な意見を言い合い、どのような意見を言っても、否定されない、いわゆる「心理的安全性」の高いチームが理想だと思う。

「チームの心理的安全性」を構成する4つの因子「和助挑新」
1.話しやすさ(何を言っても大丈夫)
2.助け合い(困ったときはお互い様)
3.挑戦(とりあえずやってみよう)
4.新奇歓迎(異能、どんと来い)

心理的安全性のつくりかた 日本能率協会マネジメントセンター 石井遼介

昔の私は、とにかく考えることをしてこなかったので、そもそも疑問が湧くこと自体があまりなく、空気を読む以前で、空気にただ流されていた。
いつからか、いろいろなことに気が付くようになった。
自分軸がある程度、確立してきたころから、自分の頭で考えたり感じたりの感度が上がってきたように思う。
私は空気を読んで忖度するタイプではないので、思ったことは口にしてしまう。場合と相手によっては、隠してある地雷を踏んでまわるようなもので、当事者には煙たがれたり、周りが言いにくいことを言うので、感謝されつつ心配されたり、ということもある。

中間管理職となった今、私自身のストレートな指摘が、次世代の心理的安全性を脅かすことにならないように、気を付けなければならない。
たくさん話して聴いて、よい関係性を築く。
(心理的安全性に関するセミナーを聴いての覚え書き)


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