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【112】読み切り超短編小説「察しが良すぎる」(1251文字)

東京 銀座 夕方 
私は一軒のお鮨屋さんに入った。

「らっしゃい。」苦味走った顔をした大将がほどよい声の大きさで言った。
カウンターだけのこじんまりした店だ。

「予約してないですけど、大丈夫ですか?」
私がそう言うと、大将は「どうぞ」と言って、自分の目の前の席に掌を向けた。

一枚板の白木のカウンターは、大事に手入れされているのが一目で分かった。
私は左手の腕時計を外し上着のポケットに入れた。
着物姿がよく似合う女将が「お預かりしましょうか」と言って、上着を丁寧に受け取ってくれる。

奥の2席は予約席と書かれたプレートが置いてあった。 私以外に客はいない。 一見客(いちげんきゃく)の私は出来るだけお店に迷惑をかけないように、まだ客が少ない時間帯に入店した。

「どういたしましょう?」
大将が低い声で聞いてきた。
「おまかせでお願いします。」
私がそう答えると、大将は軽くうなずいてネタを切り始めた。大将の隣には、まだ見習いらしい若い板前が気をつけの姿勢でじっと大将の仕事を見ていた。

最初に白身のにぎりが目の前に置かれた。
大将は(わかるかな)といった表情で私を見ている。
私は、右手で掴むとネタに醤油ではなく、塩をほんの少しつけて食べた。
「これは…」私は大将にギリギリ聞こえるくらいの小さな声でつぶやいた。

「その通りです。明石です。」
大将はそう言うと、このお客にネタの説明は野暮になるだけだといったように2貫目からは何も言わなくなった。私が食べ終わる絶妙のタイミングで次のにぎりを出してくる。

私は鮨を口にほおばり、大将の顔を見てうなずく。
大将と私の無言のキャチボールはだんだんペースが遅くなり、もう一貫くらいでちょうどいいかなと思っていたところに、かんぴょう巻きが出された。巻きものが出たら終わりの合図だ。
私が食べ終わると女将が、湯呑みごと熱いお茶に交換した。

私は一杯目より熱いお茶をゆっくり飲み干すと、大将に「お勘定お願いします。」と言った。
大将は「お愛想」と女将に伝えると、闘いが終わったかのようなほっとした表情を見せた。

私が「6貫目の…」と言った瞬間、大将の顔色が変わった。
大将「…わかりましたか?…」
「…」私が無言でうなずくと大将は「試すようなことをして、申し訳ございませんでした。 いや、こいつせがれなんですけど、もうそろそろ板場に立たせようと思っていたんですが。 中途半端な腕で立たせる訳にもいかず、そこで…確かに6貫目の中トロはこいつに握らせました。いやーまだまだでしたね。 参りました。」

大将はそう言うと、「今日のお代は結構です。」と言った。 私は「そういう訳にもいかない。」と言ったが頑固な大将は受け取らず、女将も「あの人の好きなようにさせてやって下さい。久しぶりに本当に寿司のわかるお客様と出会えてうれしくてしょうがないみたいです。」とニコリと笑った。

「大変美味しかったです。ごちそうさまでした。」私は大将と女将と息子さんに軽く頭を下げて店を出た。

あの時、(6貫目の…中トロは、抜群に美味しかったです) と言わなくてよかった。



注: カウンターは、軟らかい材料を使用している場合、腕時計やブレスレットなどの金属部分で傷をつけてしまう可能性があるため、外すのがエチケットという説もある。


注:明石海峡または明石沖で漁獲された鯛は豊富な餌に恵まれて育つ。明石海峡は潮流が速いため、身が引き締まり、明石鯛というブランドで高級料亭で使われている。

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