【大きな眼をした女の子】とあるアーティストを紹介させて下さい12

1986年、アメリカ連邦裁判所内。
有る事無い事を、ペラペラと喋り続けるその男に、彼女はうんざりしていた。男は、自分の勝利によほど自信があるのか弁護士を付けず、被告である自分を弁護士の代わりに質問し、その質問に自分で答えていた。

「1つ、提案があるのですが」

判事が、喋り終わった男と、そして原告である彼女に語りかけた。
元夫である男、ウォルターを一瞥し、彼女はうなづいた。
そして、なぜ今この様な現状に陥ってるのか、思いを馳せた。


彼女は、1927年9月15日生まれ。小さい頃から絵を描くのが好きだった。

1950年代に絵の仕事を始め、やがて肖像画を描くようになる。大きな目が特徴的な女の子の絵だった。

1650年代半ばに、彼女はウォルターと出会う。
1655年、2人は結婚する。

1957年、ウォルターは彼女の作品をこっそり自分の作品として売り出した。
当初、酒場や小さなギャラリーで売られていたが、やがて人気に火が付き、世界的に知られるようになる。
彼女は、その事実を知っても声を上げる事が出来ず、黙っていた。ウォルターに「何か言ったら刑務所に送ってやる」などと言われ脅されていた。

彼女の絵とウォルターの名前が世界的な知名度を得ていく中、ついに彼女は声を上げた。

彼女は、ウォルターと離婚。
そして1670年、出演したラジオ放送で、ウォルターの絵の真の作者は自分であると告白したのだ。
彼女は名誉毀損でウォルターを訴えた。裁判が行われる事になった。


1686年、アメリカ連邦裁判所内。
物思いに耽るのをやめた彼女、そしてウォルターの前に真っ白なキャンバスが運ばれてきた。
判事は法廷内で2人に大きな目の女の子の絵を描くよう求めた。
水を得た魚の様に、大きな眼をした女の子を描き続ける彼女。
身動きもせず、真っ白なキャンバスを見つめ続けるウォルター。
突然、ウォルターが声を上げた。
「、、、あ、肩痛い。描けないわ、無理無理」

彼女は1時間足らずで絵を描きあげ、勝訴した。

彼女の名前は、マーガレット・D・H・キーン、
本名ペギー・ドリス・ホーキンス
大きな眼をした女の子の絵を描くアーティストだ。

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