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とあるアーティストを紹介させて下さい21

1945年(昭和25年)8月6日(月)、午前8時15分17秒、広島上空より、アメリカの爆撃機によって投下された新型の爆弾は約43秒間落下した後、地上約600mの付近で核爆発を起こしました。爆発の瞬間に発生した火球は猛烈な熱線を爆風と共に撒き散らし、爆心地から2キロ以内の建物をほぼ破壊し、夥しい数の命を奪いました。
続いて8月9日午前11時2分、長崎市松山町上空から投下された爆弾は地上500m付近で爆発し、約3.000〜4.000℃の熱線で人々の生活する地表を焼き尽くし、その時に発生したきのこ雲は1万5.000mの高さに達しました。
長崎に原爆が投下された翌日、現地入りを果たした彼女の目に、苦しみ死んでゆく人々の姿が焼き付きました。


彼女は1912年2月11日に北海道で生まれました。

1929年に上京し、女子美術専門学校(現女子美術大学)に学びます。

1933年に女子美術専門学校を卒業し、千葉県市川市の小学校で代用教員となります。

1937年から1940年まで海外に赴任などし、研鑽を積みながら画家としても実績を重ねていきました。
この頃、画家の丸木位里(いり)と知り合います。

1941年7月に位里と結婚します。
そしてその年の12月、太平洋戦争が勃発します。

1945年8月、広島と長崎に原爆が投下されます。位里と彼女は広島に1ヶ月滞在して、原爆の被害にあった人々の救援活動を手伝います。

その後、位里 と彼女は東京に戻り、1950年から1982年にかけて全15部からなる「原爆の図」を32年かけて描きます。

彼女は絵本作家でもありました。
彼女が、絵と文を描いた絵本「ひろしまのピカ」の中で、原爆投下直下の中を逃げ惑う主人公の母は言います。
「ピカ(当時、原爆の事をこう呼んでいた)は、人が落とさなきゃ、落ちてこん」

彼女の名は丸木俊(まるきとし)。
夫と共に生涯をかけて、平和を訴え続けたアーティストです。

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