【熾天使は優しい植物の夢を見るか?】とあるアーティストを紹介させて下さい13

1864年9月3日生まれの彼女は、幼くして父母を亡くし、12歳から住み込みの家政婦として働き始めます。

その後1881年、18歳でクリュニー聖ヨハネ修道院に入り、20年もの間、雑用係として働きます。

1901年に修道院を出ますが、やはり住み込みの家政婦として働き続けます。

1906年、ようやく1人暮らしを始め、その頃から絵を描き始めます。40歳を過ぎてました。

昼は家政婦として働き、夜は自室にこもり、ろうそくの光で絵を描き続ける、そんな日々が続きます。

彼女の絵は植物をモチーフにする事が多く、その緻密で鮮やかな描写は見る者を圧倒します。

貧しかった彼女は絵の具を、豚の血や蝋燭のろう、聖油などを使って自分で作りました。
唯一、白の絵の具だけは、画材店から購入しました。

ひょんな事から、彼女の絵は、画商ヴィルヘルム・ウーデに見出されました。ウーデは彼女へ画材などを提供し、経済的に援助しました。

1914年、第一次世界大戦が始まり、ドイツ人であるウーデはフランスを離れなければならなくなりますが、彼女はその間もフランスで暮らします。

戦争が終わった後も彼女は絵を描き続けました。
フランスに戻ったウーデは、再び彼女の援助を始めます。
パリでは、彼女の絵は評価されましたが、この頃から、彼女の奇行が目立つようになりました。

1911年1月、心のバランスを崩した彼女は、病院に入院させられました。入院後は絵を描く事もなく、1942年12月11日、78歳で亡くなります。死因は餓死と言われています。

彼女の言葉です。
「悲しい時は田舎へ行き、木に触るといい。動物や植物と話すと、悲しみが消えます」

彼女の名はセラフィーヌ・ルイ。
その名前の語源に天使セラフィムの名を持つアーティストです。

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