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雨が上がった。もうそろそろ彼女が来る時間だ。郊外の住宅街にポツンとある公園。そこで僕らは待ち合わせをした。地面のアスファルトはまだ酷く湿っている。涼しげな風がそよぐ。太陽は雲に隠れている。そんなことを考えている間に彼女の姿が見えた。

「‥‥久し、ぶり。」

「久しぶり。」

「待った?」

「いや、全然。雨が上がったね。」

「そうじゃなくて。」

「ああ、わかっているよ。でも大丈夫だから。」

「ありがとう。」

「あっちの池のほうに行こう。」

僕たちはこの公園の真ん中にある人工の池に向かった。手は握れない。彼女の手は震えているのだ。

「涼しいわね。」

「そうだね。」

「ちょっと中に入ってみようかしら。」

「いいのかい? 足が濡れるよ。」

「いいの。こういうの久しぶりだから。」

彼女は池を取り囲む鉄柵を不器用に乗り越えて靴のまま池に足を踏み入れた。池の水は彼女のくるぶしを超える高さだ。

「ああ、楽しい。そしてとっても涼しいわ。」

「あんまり遠くに行かないでね。」

「わかってる。」

彼女はスカートを両手で持ち上げながら少しずつ池の中心へ向かった。

「本当に大丈夫かい?」

彼女は振り返らずにそのまま進む。そして池の真ん中まで行ってからこちらを振り返った。こちらからは意外と遠い。彼女のスカートが少し濡れている。

「ねえ。‥‥ だけど、いい?」

「ん、聞こえなかった。もう一度‥‥」

気温がいつのまにか上がり、僕のシャツの中は少し汗ばんで湿っていた。太陽の光が彼女の姿を明るく照らし始め、蝉たちの鳴き声も聞こえ始めた。

「だから、‥‥ なの。長かったでしょう?」

「えっ、大丈夫だよ。これからだって。」

「本当?」

「だから安心して。きっと大丈夫。」

「信じていいの?」

「もちろんさ。二人で頑張ろう。」

「ありがとう。‥‥ 」

彼女の頬を涙が伝う。本当は長かった。僕だって何度も泣いた。でも、彼女の苦しみはそんなものではないだろう。きっと、僕には想像できない。

「私‥‥、でも、これから‥‥」

「聞こえない。今からそっちに行くよ。」

「だめ。こっちに来てはだめ。お願いだから。」

彼女はスカートを持ち上げるのをやめて、バッグからハンカチを取り出して涙を拭う。

「ありがとう。本当にありがとう。」

「いいんだよ。気にしないで。それよりこっちに戻っておいで。」

「わかった。」

彼女はスカートもそのままに僕のいるところへ戻ってくる。目は少し腫れているが、ハンカチで涙と汗を拭きながら少し嬉しそうな顔をして戻ってくる。

「ああ、楽しかった。」

蝉たちが一斉に鳴き始める。空はいつの間にか青々と晴れ渡っている。夏の日差しのもと彼女は僕のほうに手を差し伸べる。僕は左手で鉄柵を強く握り締め、そして右手を伸ばして彼女の手を掴もうとした。彼女の差し出した手は相変わらず震えている。僕はやっとの思いでその手を掴んだ。彼女の手はやはり冷たい。それでも僕はその手を強く握り締めた。

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