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どこでも住めるとしたら

「どこでも住めるとしたら」?
「投稿コンテスト」の問いだが、これまでに自問自答したり他者と話題にしたりしたことのある問いだと思う。

「どこでも住めるとしたら」?

1:好きな場所


真っ先に思い浮かべるのは、好きな場所だ。

私は「ハワイ」が好きだ。
学生時代、友人と初めて訪れた「ハワイ」の独特な魅力に惹き込まれ、コロナ禍になる直前まで毎年のように旅行した。
年に一度、好きな場所に訪れ、日常を忘れて過ごす数日間は夢のようであった。

「ワイキキビーチ」から見る夕日は圧巻だ。

もし、この「ハワイ」(好きな場所)に住めるとしたらどれだけ幸せだろうか。
一度訪れただけで惹かれたのだから、住めるとしたら新たな発見や楽しさを感じながら一生幸せと共に生きていけるのは間違いない。

ただ、それ(好きな場所)で良いのか?

なぜなら、
確かに好きな場所に暮らすことができれば毎日幸せな時を過ごすことができるだろう。

しかしそれは、時々訪れる特別感だったりとっておき感だったり、年に一度〜数回と決められていたりするからこそ得られる非日常であるという条件が必要になるだろう。

つまり、好きな場所が、住むことによって「日常」となってしまっては物足りなさを感じるようになり、住んで後悔ということになりかねないのだ(金銭的な問題や会話の困難さ等の現実的な問題からは目を逸らしたい)。

2:地元


次に思い浮かぶのは生まれ育った地元だ。

言い換えると「故郷」。
幼い頃からある程度までを家族と共に過ごすのが一般的のように思われる。

ちなみに私の「故郷」は長野県の「原村」という場所だ。
八ヶ岳と諏訪湖の間に広がる高原(標高900m~1,300m)に位置する村である。
自然豊かであり、澄んだ空気や高原野菜、また、「星降る里」と言われるように星空が綺麗に見えることも魅力的だ(「故郷」と「降る里」がかけられているかは謎である)。

富士山を見ることも可能。夜空だけでなく朝焼けも絶景だ。

生まれ育った「故郷」であれば、落ち着いて暮らすことができることは言うまでもないだろう。

しかし、「住む」と考えると「故郷」がベストと言えるだろうか。

なぜなら、「故郷」で得られるメリットが「安心感」しかないと感じるからだ。
「住む」ということはそこで生活をすることであり、さらには何かしらの仕事に就いて給料を得なければならない。

私のような、「地元」が田舎である場合、そこで就ける職業はかなり絞られてくる。
昨今のリモートワークの可能性があるのでその狭さも広がりつつあると思うが、田舎には田舎の良いところがある分、非効率的な面も存在する。
逆に、効率的に暮らすことができる街が「地元」の場合は、その辺りの不便さは解消されるが、「地元」であるが故の生活のしにくさや顔見知りの多さなど、考慮しなければならない点が少なからず存在するように思う(下記の「3」でもう少し加筆)。

そう考えた時、「どこでも住めるとしたら」?という自由な発想においては一歩退くべき選択肢だと思う。

3:便利なところ

2:地元」で触れたが、田舎は非効率的なことが多い。
ならば、その真反対、便利なところに住むのが良いだろう。
大学時代に大都会:東京に4年間住んだが、その便利さは実家(田舎)に帰るのが嫌になるほどだったことを覚えている。

電車やバスなどの公共交通機関は時間を気にしなくてよいほどの充実ぶりだ。

写真は「JR東日本:小海線」。1時間に1本の時間帯もある。

コンビニもたくさんあり、夜中小腹が空いたら歩いてすぐだし、宅飲みをしていてお酒を足すのもあっという間。

その他、便利なところというのは自分の欲を満たすことができる。
そこで一生暮らしていくのに何も不自由がない。

一方、このような考え方もある。

不便益」という言葉を聞いたことはあるだろうか。

中学1年生の国語の教科書に採用されている、「不便の価値を見つめなおす」という説明文に出てくる言葉だ。
著者は「川上浩司」。
不便益」とは、「不便だからこそ得られるよさ」のことをいう。
要するに、
『便利はよいことで不便は悪いと思われがちだが、不便の中にも良い面がある。不便なことは新たな発見を可能にしたり人間の創意工夫を促したり、成し遂げたときの達成感を大きくしたりする。日々の生活の中で不便だと思ってきたことの中にも、見方を変えれば新しい気づきが隠れているかもしれない。』
というようなものだ。

つまり、便利さだけを求めるのは必ずしも良いことばかりではないというわけだ。

先ほどの電車のケース。
田舎では1時間に1本程度の時刻表が日常であれば、嫌でも時間を気にして生活せざるを得ない。
私もそんな生活を送ってきた。
部活帰り、「次の電車を逃すと1時間待ちだ!」と友人と話しながら駅まで走った記憶が懐かしい。
それが故に、時間を気にして生活する癖がついたように思う。

便利なところに住んでいたら身につかなかった生活態度があり、
不便だからこそ今の自分がより良い生活を送れている面が少なからずある。

4:結論

それではいったいどこが「どこでも住めるとしたら」の問いに当てはまるのか。

これは「住む」というものをどこまで捉えるかで変わると思う。
いろいろな意見が出てくると思うが、今回、私は、先ほどから少しばかり述べてきた、「そこで暮らしていく」という観点で考えている。

そう考えたとき、私が「どこでも住めるとしたら」、「趣味を堪能できる場所」という答えに行き着くだろう。

なぜなら、そこで暮らしていくからだ。

5:趣味を堪能できる場所

私の趣味は「ランニング」だ。

幼い頃から陸上競技に親しみ、主に「中・長距離」種目に取り組んできた。
その影響か、競技から退き社会人として生活する今なお「ランニング」を行うことに抵抗はない(ランレベルは置いといて)。

「ランニング」は靴さえあれば意外とどこでも楽しめる。

旅行先の「ハワイ」でも走った。

朝日昇る「ダイヤモンドヘッド」と一枚。

山の近くであれば「トレイルランニング」という楽しみ方もある。

白馬村の岩岳にて。

至るところでロードレースが開催され、同じ「ランニング」を趣味としている人たちとゴールを目指すこともできる。

新潟県は寺泊港。

私の場合はどこでも楽しめるかもしれないが、他の趣味は場所を選ぶものもある。

アニメやゲームが好きな人は、秋葉原に住めば(通いやすければ)趣味を堪能できるだろう。

スキーやスノーボードが好きな人は、雪山に近い方が趣味を楽しめるだろう。

釣りが趣味な人は釣り場にアクセスが良いところ。

キャンプが趣味な人はキャンプ場へアクセスが良いところ。

海が趣味な人は海に近いところ。

趣味の数だけ挙げることができると思うが、それぞれの価値観に沿った場所こそ、「どこでも住めるとしたら」の解になると考える。

何を優先するか、とも考えられる。

このように考えたとき、個々の価値観に沿いながら、何を優先するかによって、一生暮らしていくことを念頭においたとき、趣味を堪能できる場所が「どこでも住めるとしたら」の答えや大事にしたいことになるだろう。

私は仕事柄転勤がある。
引越す時にはこの気持ちを大事にして引越し先を選びたい。

(ちなみに、「ランニング」はどこでも楽しめると述べたが、個人的には平坦な道が多い方が走りやすいので、家の周りは平坦な箇所を選ぶだろう。)

#どこでも住めるとしたら

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