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武士道と言うか、文学と言うか

大概死について考えているのに、実際にはぐだぐだ生きている

ぐだぐだ余計な事を考えてしまう。どちらかと言えば、美しく砕け散りたい。

武士道と言うか。そういう考え方と言うか。

ただ飛び込んで行って粉砕というような。結果が出ないのなら、そういう終わり方で問題ない。

ところで、この苦しみは何だろう。生きている事が、苦しくなってくる。

以前仕事をしていなかった時期にもずいぶん苦しんでいたが、それが再発しているのかもしれない。

苦しみと共にある人生なのだろうか。どんなに頑張ってもここから抜け出せないのならば、とりあえず死んでしまいたいのだけど。ただ、その願望を行動に移した事は一度もない。

武士道とは死ぬ事。だった筈。それならば自分は、まず武士ではないという事なのだろうか。46歳になっても、まだ生きている。

結局、死に際の美しさに憧れる。ぐだぐだ生きていても仕方がない。

自分が文学をやっているのは、意味ではなく強弱

生きている意味があるとかないとか。と言うか、特に意味なんかなくてもいいんだよね。

この文章を書く事に意味があるとかないとか、どうでもいいんだよね。まず重要な事は、書かれている内容よりも人生(哲学)だし。

文章なんて幾らでも嘘が書けるし、そういうふうに考えると結局色々どうでもいい事になる。

それで、何時も思うんだけど何で『ぶんがく』なの? 

深い意味はないけど、ある意味文学最強説みたいな。そういう事を言いたかっただけなので。

それでそれが駄目だったら、普通に死にたいと言うか何と言うか。それが全てと言うか。

それでそう考えると、自分がこだわっているのは意味じゃなくて、強いか弱いか? 結局、そういう事ではないのだろうか。

だから、武士道と言うか。文学と言うか。ただ強くなりたかっただけと言うか。

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