いつか笑い話になる日まで②

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①をまだお読みでない方は是非①からお読みください。

とんでもない嘘のオンパレード

現在の旦那(以下Y)Yは(その当時)自分は宇都宮の東口でDDというBARを経営していて、数年前までは〇〇会系の暴力団の組長だったと話ておりました。
現役を引退した今はBARの経営と闇金の経営、裏の仕事では◯し屋をしていると。
宇都宮ではかなり顔が知られておりBARには現役のヤクザが常時出入りし、経営は順調だと言っていました。
Yは自分の父親も〇〇組系の組長で小さい時から部屋住みの若い衆と生活しており、父親が亡くなる寸前に組の跡目を継ぐよう頼まれたが系列が違う事、兄さん方からの反感を買いたくない事などからそれは辞退したと言っておりました。
程なくして、父親の組の若頭にあたる兄貴分Kの内妻だとS子を紹介されました。
S子は元々Yの3つ年上の幼馴染のTの奥さんで学生の頃から顔見知りだったがTが交通事故により亡くなった後、兄貴分Kと付き合うようになった。
S子は私の10歳年上の女性で、パッと見た感じヤクザの姐さんの様には見えず普通のおばちゃんといった感じで、映画やVシネなんかで観るのは違うんだなぁという印象でした。
S子は手を握るだけでその人の人となりがわかる。自分には霊能力があると私の手を握り、涙を流しながら大変な人生だったな。これからはYに頼り幸せになりな。と言いました。
ここから私達家族に当然の如くS子が入り込んでくる様になりました。
今思えばおかしな関係ですが、その時は面倒見の良い近所のおばさんという感じで拒否する事ができませんでした。
Yは私に会うたびにブランド物の財布やサングラス、ピアスにネックレスなどプレゼントをくれ、自分自身もジャラジャラと貴金属を身につけ、かなり羽振りの良い印象でした。
お金に惹かれて付き合うようになったのではありませんが、子供3人と年老いた母を抱えていた私にはこの人と一緒になればこれから先、子供達に苦労をさせずに生きて行けるんじゃないかと卑しい考えが出てきたのは事実です。
Yは子供達を守ってあげたいと良く口にし、3番目の子(当時保育園児)をとても可愛がってくれました。上の2人は小学生と中学生だったので多少の距離はありました。
私の中でどんなに優しくしてくれても、お金を持っていても子供を大切にしてもらえない人との生活は考えられなかったのですが、Yはそれを見透かしていたのか常に子供の事を心配し、気遣い私はこの人となら子供達とまた楽しい家庭が築けるのではないかという期待が大きくなっていきました。
私達家族は離婚の際、急ぎで探した3LDKの賃貸マンションに住んでいました。
それを知っていたYが家を買ってあげるから、俺はいいから子供達とお母さんと住みな。と言って私達家族と共に不動産屋さんを何軒もまわり新築の物件を買う事になりました。
Yと私の中では結婚したら一緒に住めばいいからまず子供達に新しい家をという事で話しており、少しずつ段階を経て結婚に至れば良いかなという感じでした。
なので名義は当然私の名義という事で私は手付金をまず支払いました。
その後Yが残金を現金で〇月〇日までに支払うという事で契約書も作成してもらい、後はYが現金を宇都宮から自分の所に持ってきてもらうだけとなっておりました。
その日の前日S子からYに連絡が入りました。
「Kにお金持ち逃げされた!Yのお金も私のお金も全部!」
私とYはすぐ宇都宮に向かいました。
宇都宮に着くとS子は憔悴しきった(演技)顔で待っていました。
YはS子から事情を聴き、お金はすぐ作るから大丈夫だ。心配しなくていいから日にちを少し伸ばしてもらってきて欲しいと私とS子を不動産屋へ向かわせました。
不動産屋に着いて少し日にちを伸ばしてもらいたいと言った所、手付の増額を求められお支払いしました。
その後、しばらくしてYから持ち逃げしたKの行方を探しながらお金も作るから2週間だけ待つよう言われました。
その2週間の間に自分が宇都宮に残してきた闇金の事業の社長にすぐ現金を持ってくるように伝えてあるからもう大丈夫だと。
私は自分の少ない手持ちの中から大金を払っているので気が気じゃなく日々を送っておりましたのでこの言葉で安心して待っていました。が、また現金を支払うという当日になり今度は闇金の事業をまかしていたその社長にまでお金を持って逃げられたと。
そんな事ある?と思いましたが、また不動産屋に直接向かわなければいけないのは私でした。
不動産屋さんからしてもおかしいと思うのは当然で最終私が手付金の放棄と違約金を支払う形で家を買うという話は白紙になりました。
白紙になっただけではなく離婚時にもらった一括での養育費、裁判で勝った慰謝料がほとんどなくなってしまいました。
Yはお金は必ず取り返すし、家もまた探せばいい、俺が全部責任持ってみんなの面倒見ていくから何も心配しなくていい。と…。
私の中で冷静な判断ができなくなっていたんだと思います。でなければこんな人と一緒に居ようとは思わなかったはず。
でもその時の私は微塵も疑う事なくこの言葉を信じてしまった。
本当に母親としては情けない話です。
ただこれで終わりではなかったのです。。。
続きはまた次回に…。

                     to be continue

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