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寿子ちゃんを守りたかった

小学校校区内に養護施設があった。事情があって親と住めない、親のいない子が住んでいると聞いたことがある。

4年生の時、寿子ちゃんという、ボーイッシュな髪型の子がそこに入って、同じクラスに転入してきた。なんとなく気が合った私たちは、よく一緒に遊んだ。授業の時の「誰かと組んで」という先生からの指示も怖くなかった。だって、寿子ちゃんといつも組んでいたから。

そうして、遊び友達や、先生の指示に悩むことがなく過ごしていた。多分、肩の荷を下ろして過ごしていた「短い春」だったのだろうと思う。けれど、そんな事は長くは続かない。

寿子ちゃんは外国へ貰われていくことになった。誰にも連絡先は教えてはいけないという、約束事まであった。寿子ちゃんという名前も変わるということだった。

朝の会で、ある男の子が寿子ちゃんの前途を祝って牛乳🥛で乾杯をしようといいだした。困惑したのは寿子ちゃんだった。寿子ちゃんは牛乳が嫌いだった。割と近くの席の子はそれとなく知っていたけど、毎日の給食の事なので、寿子ちゃんは我慢して飲んでいた。寿子ちゃんはこっそり私に言った。

「私、いやだな」

その時、私の中にとてつもない正義感が湧いて出た。それはとても幼稚なものだったけど、『この乾杯を止めなければ❗️』という強い強い気持ちが湧き出てきたのである。

だからといって、やる気になってる男の子に「やめようよ」という度胸もなく、せいぜい「本当にやるの?迷惑かもよ?」と言うにとどまった。だからと言って、「いいことしよう」という気概に溢れた男子にそんな言葉は響かなかった。

そして、とうとう給食の時間がやってきてしまった。

そこで私は、なにをしたか…

ひと足先に
牛乳瓶の蓋を取り、一気飲みしたのである

わぁー‼️さとが牛乳飲んだ‼️と口々に叫ぶ声。
目の端には泣きそうな困ったような
寿子ちゃんの顔。
私の襟首掴む子もいた。

床に叩きつけられた私はただただ泣いた。
理由を言えば寿子ちゃんが悪者になってしまう。
だから、先生に呼び出されても何を言われても、何も言わなかった。
こんな方法しか取れなかった幼稚な自分が悔しかった。寿子ちゃんは嫌だと思っていても、そこまでは望んでいなかったのだろう。だから、本音を私にこっそり教えてくれたのだ。

その辺りの感情や、行動がわからないのは、やはり、発達障害であった事も一因であるだろう。

私はそれから、我儘、勝手なやつというレッテルを貼られた。いつも下を向いて歩き、いつも1人でいて、「2人1組になって」と先生が指示すれば必ず余る子に「戻った」。

その日が金曜日で、月曜日から寿子ちゃんは学校に来なくなった。渡米の支度をしてそのまま行ってしまった。

私は寿子ちゃんに嫌な思いをさせたくなかっただけだけど、結局、私に荷を負わせたような思いを持たせてしまったのだと思い至ったのは、ずいぶん後になってからだ。

ごめんね、寿子ちゃん。
本当は、守りたかったんだよ。
でも、傷つけちゃったんだね。

寿子ちゃんとはそれっきり。6年生の春だったかに一度、帰ってきて学校に顔を出したけど、話をする機会はなかった。噂で確かに外国名に名前が変わっていたと聞いた。元気でいてくれるといいな。

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