方眼ノートが好きでたまらない
私は、方眼ノートが大好きで大好きで、ついつい何冊も購入してしまう癖がある。この癖は、子どもの頃からのものだから、筋金入り。
あの規則正しいマス目に、自由自在に字や絵を連ねていると、とてつもなく自由な気持ちになるのだ。
マス目にしっかりそろえて、びっちりと書き込んだページもあれば、そのマス目の法則をまるっと気にせず、自由にうねるように描いた絵や文字のページもある。
そんなページが積み重なって、自分の記録が重なっていくのがひとつの作品のようで、達成感を覚えることがある。
小学生の頃には、そんなに方眼ノートへのこだわりはなかったと思う。
学校の指定のノートに「なるべくきれいに書く」が目標だった。時々、図や表を写すのに背景が方眼だと便利だと感じるくらいだった。特別にこだわりもなかった。
強いて言うなら、書くことは好きだった。定規でキッチリ枠をひくのも好きだった。
そういうところは方眼好きに通じるのかもしれない。
恐らく最初に方眼ノートに恋焦がれるようになったのは、大学生になってからったと思う。たまたま買ったノートが方眼だった。なんとなくノートの表紙の色がキレイ、ただそれだけだった。
それだけだったけれど、整ったマス目の背景を見ながら字を書き、図を描くと「何かを書いている」「まとまっている」ように見え、楽しくなってきた。方眼ノートをそれぞれの用途にそって買い足し、ノートに「○○ノート」とラベルをつけるようになった。
そして、早々に使う手帳も方眼タイプのものを選ぶようになった。
手帳にもいろいろな記録やチェックをする時に、方眼があると書きやすくて便利でたまらないのだ。
今でも機会があると、文房具店に手帳や方眼ノートをすぐに見に行ってしまう。別に直接書かなくても、noteのようにパソコンから入力して文章を綴ることはできるのに、アプリでスケジュール管理をすることができるのに、私は「書く」ことにこだわっている。
利き手の指には書き癖によって大きなタコができている。でも、今も書き続けている。
目下の悩みは、方眼が好き、というところは一貫しているのだけれど、少し飽きっぽいところがあり、ノートや手帳が最初から最後まで使い切れたことがないことである。冷静に考えると、もったいないことをしている。
ただ、新しい方眼ノートを手に入れて、「このノートは何用のノートにしようかな」と考え、これからどんなことを積み重ねていくのか想像するとたまらなくワクワクしてしまう。
今一番長く続いている方眼ノートは「家ノート」というタイトルで、家に関することを綴っているノートだ。
家の写真を貼ったり、家に欲しいものをリストにしたり、家計を手書きにして表にしたり…家や生活に関することならここに詰め込んでいいというノートである。
しっかりレイアウトをととのえたい時に背景の方眼がこの上なく役に立ってくれる。そうしてととのったデザインができると、とても満足になり、またこのノートに書きこもうという意欲が湧いてくる。
そうして綴られた自分のノートを何冊かとっておき、時々見返してみると、自分なりの変遷や成長が見えてきて味わい深い。
ただ、続ける意欲もあるがゆえについつい「これは次の家ノートにしよう」というのを言い訳に新しいノート候補達を増やしてしまう。
何度も「次のノートは絶対に最後まで使い切る」と決意しながらも、頻繁に新商品をチェックして家にお迎えしてしまうために我が家の方眼ノートコレクションはやや過剰供給気味である。
でもまた、それがたまらなく楽しいひと時である。
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