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生きるというたたかい【記録・雑感】わたしのロシア文化メモ補完編

東大ホームカミングデイに行われた講演会「東大で戦争と平和について考える」に行ってきた。
心の芯に染みるお話が次々にあったので、自分の畑にも紐付けて記録しておこうと思う。

情報学環・学際情報学府の、渡邉英徳教授と、先端科学技術研究センターの小泉悠専任講師が登壇するものだった。
以前から渡邊先生は、NHKの戦後周年特集などに出ていて、小泉先生はウクライナ戦争関連で本も出している。
身近な先生たちではあったが、ゆっくりと話を聞いたことはなかった。

うららかな秋晴れの日、「子供たちもたくさん来ていてびっくりしました」と語る渡邊先生の声とともに、安田講堂で講演会は始まった。
なお、以下すべての感想は私の目線で理解したものであり、一般的に拡張できる理論や、先生方の意図と異なる可能性は注記しておく。

悪者がいなくても戦争は起きる

小泉悠先生から最初に投げかけられた質問は、「どうしてウクライナ戦争は終わらないと思いますか?」だった。

示された選択肢は、「戦争でお金儲けをしている人がいるから」「ロシアとウクライナの話し合いが足りていないから」といったもの。
会場はそれらを支持したが、小泉先生は、この戦争で両国が経済的打撃を受けていること、ロシアとウクライナは戦争以前、文化的交流が非常にさかんだったことを指摘した。

誰かが大きな得をするために糸を引いているわけではない。
お互いの国に親戚がいたり、芸能人がお互いの国で楽しまれていたりする。

それでも戦争は起こり、終わらない。
かつてテレビで共演した有名人が、今は相手国を非難する。
小泉先生の、「どうですか、ここまで、特別にお金儲けをたくらむ人がいなくても、話し合いが足りていないわけでもなくても戦争になるのが、見えてくるかと思います」という問いかけが胸に沁みた。

もちろん戦争責任を宙に浮かせる話ではなく、小泉先生は「今のところウクライナを接収したいプーチンの意図が強い戦争だと考えられています」と言葉を添えた。
しかしスクリーンに映された、10年前のロシアのアナウンサーの笑顔は明るく、その後始まる戦争に対する無情さを際立たせていた。

ものごとはそう簡単な因果関係で、「誰かがこう思ったからこうなった」だけでは片付かない。
その世界規模の複雑さを改めて思う。

先生は続いて「戦争は近くにいるから起こる」という言葉を口にした。
現在、近現代、前近代。
戦争や紛争を見渡せば、国境の奪い合いはもちろん、交易が生まれたことで商品をめぐって起こる戦争、違う考えの味方をしたことで生まれた戦争。
地理的に近いものだけでなく、心理的に接することでも戦争は始まる。

日頃もそう。
他人と他人の喧嘩よりよく見かけるのは、家族や恋人、仲がいい友人同士の喧嘩だ。
人間と人間のかかわりあいは楽しいけれど、楽しいだけでは済まない。いちど利害を共有すれば、お互いに大切なものがあるほどすれ違いやすくなる。私が子供の頃は案外、「争う」ということのこの側面に無自覚だった。

だけど、「じゃあ関わるのをやめよう」というわけには、今のところ人間の社会ではめったにいかない。
私たちは、これからも生まれる争いの種を見据えながら、それでもよりよい世界を思い描いて、長いときをかけて進んでいくしかないのだろう。

日常を維持するという強さ

続いて渡邉先生から、自身の研究である戦争・災害のデジタルアーカイブを使った講演があった。

ウクライナ・マリウポリやキエフで倒壊した建物の立体モデルや、そこに残されている、子供たちのらくがき。
キエフ在住の3Dクリエイターが一念発起して作成したものを、渡邉先生が見つけてコラボレーションしているのだと語っていただいた。
渡邉先生は、彼の「自分のできることは何か」と考えたその行動を称賛した。
そして是非聞き手の一人一人にも考えてほしいと。同じことをしろというわけではなく、自分は何をするかを。

また、先生の言葉の中で印象深かったものがある。
「キエフの大半の人々は、逃げるでも戦うでもなく、パンを焼いたり、プログラムを書いたりして普通に暮らしているんです。これを見ていると、『普段通りの生活を続ける』ということの、何か矜持のようなものもあるように思います。強さを感じますね」

この言葉に、私はとっさに、片渕須直監督の映画「この世界の片隅に」を思い出した。
こんな台詞が出てくるのだ。

なんでも使うて暮らし続けるのが、ウチらの戦いですけえ。

第二次世界大戦中、広島の軍港がある呉市に嫁いだ女性・すずの台詞

兵士のためにも、食事はいる。
彼らが帰ってくる家も守りたい。家族や友人が健康なほうが喜ぶにきまっている。
自分たちが健康に生きるためには、日々の生活が要る。

生活は終わらない。
思えばこの映画から感じたそんなメッセージが、若い頃の私の、最初に「戦争」というものを立体的にとらえた体験だった。

渡邉先生は、こんな言葉を会場に贈った。
「世の中で起こったことに対して無気力にならないでください。今を楽しく生きるということ、それが最も大きな力なのではないかと思います」

ジャガーノート、という言葉がある。
「圧倒的な力、止めることのできない暴力的な力」のような意味だ。
私は両先生の話に出てくる「戦争」や「破壊」のイメージにこれを重ねながら、同時に「普通の人が、普通に生きる力」を想った。
圧倒的な力を、止めるための力。
争いを忌避するなら、それも私たちが、圧倒的なものに育てていくしかないのだと思う。

私にできること

会場にいる子供から、「子どもでもできることは何ですか?」という質問があった。

小泉先生は、「まず自分が人を受け入れること」という話をした。「喧嘩をしている友達がいたら、どうやったら仲良くなれるか考えてください」
渡邉先生からは、先述の「楽しく生きるということ」のお話があった。

やり取りを聞きながら、私も考えた。
私は国内の民間企業勤めであり、専門は文学である。
一見して、戦争に対してできることがあるとは思わない。

けれど、日々を楽しく過ごすことなら私もできる。
また、揉めている人々の間に立つことや、自分が傷つけてしまった人について思いを巡らすこともできる。時には関わらないと判断することも含めて。
また、自分が知る両国の文化について発信することも、また力の一つになるかもしれない。私も結果は見えないけれど。

私は私が色々な人やフィクションに教えてもらった力を使って、「自分にとって善い生」を考えて生きていく。
それは、肩書きが何であろうが人間として同じことだし、文学は常にそれを描いてきたものだと思った。
小泉先生も渡邉先生も笑いながら、アニメや小説の例を引いて、あるべき未来を語っていた。

結局、その
「いかに(実現不可能に思えるとしても)善いものを目指すか」
という志向の力が、人類を確かに前に進めているのではないかと思う。
地球全体から見たら無意味なほど小さな動きだとしても、人類にとっては確かに良い世界に。

こちらで本日の雑記は以上とします。

▼渡邊先生のプロジェクトに対する寄付はこちら。

▼小泉先生の著書はこちら。

▼前回ロシア文化に関して書いた記事はこちら。


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