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バンコクの運転手

 30年近く前、プータローをしていた私は一週間ほどタイのバンコクへ貧乏旅をした。
 目的はムエタイ観戦と1人旅のゾクゾクする気分が忘れられなくなっていたからだろう。
 当時のバンコクはまだ地下鉄が無くて夕方になると酷い渋滞に見舞われていた。その頃のタイでの移動手段といえばオート三輪のトゥクトゥク、バイクタクシー、バス、タクシーといったところか。値段は交渉制で向こうも商売だから吹っ掛けてくるわくるわ、だいたいニコニコと日本語で話しかけてくる運転手は100%ボッタクリと学習(笑) しだいにトゥクトゥクでも土産物屋でも値段交渉が楽しくなっていた自分がいる。当時はまだ円が強くてそんなに値切るつもりも無かったが、旅の後半は街の人々とのコミュニケーションやゲーム感覚でやり取りしていた。ちなみに土産物屋などで幼い子どもが物売りしている場合はその子の為にも「向こうの言い値で買ってあげたほうが良い」という意見もあるようだが、いくら高い金額を払っても店頭に立つ子どもには一銭の得にもならないそう、儲かるのはバックにいる店主やオーナーだけらしい。
 それはさておき、ハラハラ・ドキドキし、笑い、興奮し、幾多の日本との差異を楽しんでいるうちに魔の夕方交通ラッシュの時間がやってくる。その時はホテルに帰ろうとしていたのかトゥクトゥクを探していたがどうにも気の合いそうな車両に当たらない、バイクタクシーは敷居が低いように見えたが、運転荒いし、道路もお世辞にも良くないしで見ていてかなり怖い、当時バイクに乗っていた自分でも引いてしまう乗り物に見えた。半ば諦めつつ大通りを歩いていると、停車中のタクシーが…、しかしトゥクトゥク等に比べると高いイメージもあるし、この渋滞だ、かなり吹っ掛けてくるのではないか? と思いつつ運転手に声をかける。運転手は初老の痩せた男性で、ブラウンのペイズリー柄シャツが似合っていて他の運転手とはどこか雰囲気も違うなと思った。
 「この渋滞だし、時間かかるよ?」
 ウンザリしたように道路を見ながら言った。自分も渋滞はしょうがないと思っていたので、それを踏まえて簡単な運賃の擦り合わせを行った。具体的な金額等のやり取りは忘れたが、ちゃんと乗せて連れて行ってもらったので交渉は成立したのだろう。
 「…まったく、この街の夕方のトラフィックジャムは凄いだろう?」
 運転手はしわがれ声で私を飽きさせないように話をしてくれた、
 「俺はいつも運転しながら好きな音楽を聞いてるんだ」
 そう言いながらカセットテープを取り出して聞かせてくれたのが、Eaglesのベスト盤だった。
 日が暮れかけた街の、流れの悪い道路で聞いたEaglesの「呪われた夜」はなぜか今でも記憶から消えない。
 空気は蒸し暑く、街角からはナンプラーの香り、排気ガス、特別良くも悪くもない旅の記憶。
 
 独り旅ではいろいろと印象的な景色、人、体験があったが、そんななんでもない、特別な感動でもない出来事がいつまでも心に残っていることがある。


※冒頭の写真は
「みんなのフォトギャラリー」からお借りしたベトナムの風景です。
ryotatanakaさん、ありがとうございました。

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