マラカスの失敗の話【小学2年生】
遠足とか、修学旅行とか、吹奏楽コンクールとか。
そういう非日常の動きの中で、集団の中で、「先を見て動く」ということが苦手です。
そんな傾向が早くから表れていたこちらの日記。
小学2年生の頃です。
地域のおじいさんおばあさんを招いて、集会所で敬老会を催したんですね。
地区の子ども会で、おじいさんおばあさんに音楽のプレゼントをということで、何度か練習に通ったのを覚えています。
マラカスというのは、空のペットボトルにビーズを詰めて作った手作りのもの。
子どもたちは30人くらいいて、皆それぞれに手作りの楽器を演奏する予定でした。
でも、集会所の外でリハーサルをした時に、なぜか誰かのお母さんにマラカスを預けちゃって、本番ではマラカスの身振り手振りでやったよ、というお話。
このあともう返してもらうタイミングはないぞ、ということが、読めなかったんですよね。
みんなでゾロゾロと入場し、あれよあれよと本番が始まり、さんぽの合奏になったときは、言いようのない心細さに襲われました。
マラカスがない....
私だけだ、みんな持ってる....
どうしよう....
このまま始まるの....??
怒られるかな....
今、返してなんて言えないしな....
それでも、マラカスを持っているていで、覚えてきたリズムをグーの拳を使って一生懸命演奏しました。
誰に気づかれることも怒られることもなく、敬老会は終わりました。
あのお母さんには、「ごめんね、楽器なしになっちゃったね」と、あとでコッソリ謝られました。
私は幼い頃から、迷子になったら、泣き喚くでも探し回るでもなく、ぽかんと立ち尽くしちゃうタイプの子どもで。
このときもまさにそんな気持ちで、泣きそうな気持ちを必死で抑えながらステージで立ち尽くしていました。
とてもとても不安だった。
でね、こういうこと、その後もちょくちょくあるんですよね。
もうこの場所には戻って来ないから、荷物は全部持っていかなきゃいけないのに置いてきちゃった、とかね。
タイムスケジュールが決まっていて、動き方も決まっていて、みんなについて行くのに必死で。
鈍臭いとか要領が悪いなんて言われることも。
このマラカスの一件だって、大人になってからやってたら大チョンボですよね。
始末書沙汰です。
いつもと違う動きや流れの中で、自分の頭で先読みをして行動する、ということが苦手な人、きっと一定数いるんじゃないかな。
ちゃんと頭を使いなさい!!なんて怒られるけど、頭を使うのをサボってるんじゃない。
どうにも苦手なんです、そういう頭の使い方が。
努力不足ではなく、出来ないんですよね、シンプルに。
算数が苦手な人がいたり、体育が苦手な人がいたりするのと同じように、生まれ持った気質なのかな。
私はこの苦手と付き合いながら、このあとも少しずつ苦労していくことになります。
そんな苦労のはじまり、幼き頃の日記のご紹介。
おんなじ人、いたんだあ〜、って、誰かの心が和らぐといいなあ。
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