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ねむみ 8

 僕は「ねむみ」について、難しく考えすぎているのではなかろうか。授業中に眠たくなる、という現象が、女子たちの作った「ねむみ」というわけの分からない造語のせいで必要以上に煩雑に見えているのかもしれない。もっと単純に考えるんだ。僕ら人間は、普段どのような方法で目を覚ます?朝、母さんに早く起きろと怒鳴られる。目覚まし時計が鳴って起こされる。あるいは、もし夜中にガタガタと泥棒に入られたら目が覚めるかもしれない。ガタガタと―。ん?ガタガタ?そうだ!「音」だ!キーワードは「音」だ。僕らはいつなんどきでも、「音」によって目を覚ます。こんな簡単なことに、なんでもっと早く気が付かなかったのだろう。さっきエッチな妄想をして眠り込んでしまった時だって、自分のいびきという「音」によって目覚めたじゃないか。要は音を作り出せばいいのだ。自分で音を作り出して、その音によってねむみを追っ払う。単調かつほとんど音のない京子先生の授業において、絶大な効果が期待できそうだ。

 しかし。問題はどうやって音を出すかだ。机をバンっと両手で叩けば一瞬で目が覚めそうなものだが、それだとクラス全員からクレイジーな奴だと思われるのが目に見えている。「ワッ」などと声を出すのも同じことで、ねむみとおさらばできることの代償は大きい。うーんどうするべきか。そうだ。机の上にある文房具を床に落としてみよう。この方法なら極めて自然に音を生み出すことができ、さらに落としたものを拾うために体を動かさないといけないので、なおねむみ撃退の効果がありそうだ。早速僕は、机の上に無造作に置かれているピンク色の蛍光ペンを床に落としてみることにした。なるべく自然な感じを装って、さりげなく落とす。右手の指先で、そろそろと蛍光ペンを押し進め、机の天板の淵まで持って来た。いけっ。最後のひと押し。カタン。ペンは落ちた。夏の蒸し暑く重だるい空気が立ち込めた教室の中に、その音は高く響いた。たかだかペンが落ちただけなのに、その音は、静寂を貫く、枯山水とかによくある、あの、なんだっけ、あれだ、竹から水が出て来てカコーンっていうやつ、名前を思い出せないが、あれを思わせた。蛍光ペンが落ちた音は、僕を非常に清々しく新鮮な気持ちにさせた。ねむみも一瞬で逃げて行ってしまったようだ。なんだ。こんなに簡単なことだったんだ。ねむみからようやく解放され、まるで羽が生えた天使のような自由な気持ちだ。これでやっと集中して授業を聞くことができる。僕は蛍光ペンを拾い上げ、京子先生の声に耳を傾けた。
 
    

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