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辞令は突然に… メキシコ編

「夫にある日突然の辞令。そのとき奥さん、ご主人をとりますか?それとも…自由をとりますか?」

遡ること二〇一八年、六月。
その日は朝から悪阻が落ち着いていたので、むすめが同じ幼稚園に通う友達と長電話をしていた。途中で夫からキャッチが入り友達に断って電話に出た。
「もしも」
「あのさ、メキシコに行ってもええか」
察するに、海外赴任の打診があったのだろう。
以前にも赴任の話はあったが、何度も立ち消えるうちに、三十代での赴任の可能性は完全に無くなったのだと油断していた。

「いつ言われたの」
一応聞いてみた。前もって分かっていたのなら、昨日の夕食の席で教えてくれたら良かったのに。
「今、五分前に上司に呼ばれた」
辞令は突然に…である。京一郎から異動を告げられる度に「またぁ?」と困惑するはるみの肩を叩き「ちょっと聞いて、うちもなのよ」と話しかけたくなる。

夫の電話は赴任の打診があった報告かと思いきや、どうやらすぐにでも返事が聞きたいらしい。
「いいよ」
夫の長年の夢が叶うなら腹をくくるしかない。
くくった腹の中に第二子がいるのだけれど。
「すぐにサインして来る。ありがとう」
電話を切ってしばし茫然とした。衝撃で動けない私とは対照的にスキップで報告に向かう夫の後ろ姿が目に浮かぶ。
メキシコか…と声に出したところで、まるで実感など無い。

夫は宣言通りその日中にサインを終え、後日正式に受理された。
妊娠十二週目、数週間ぶりに悪阻が落ち着いた穏やかな春の日のことだった。

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