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僕の局部について

彼とは同じ空間を共にしてきた。
思えば彼の人生は僕の選ぶ行動に日々左右され、自身では何の選択も出来ない不自由なものだった。でも彼はその場その場を感じながら、僕から見ると彼なりの人生を割合楽しんでいるようにも思えた。

5歳頃だろうか、僕がまだ幼かった頃はよく、彼に外の世界を見せてやっていた。縁側から外を眺めたり、一緒になって陰に隠れて母親をワッと驚かせたり、特に意味はなく背中をさすってやって一緒に寝ていたこともあった。

僕は段々、こんな事を忘れていったのだと思う。彼に外の世界を見せてやることは無くなった。僕の意識は社会に向けられ、がむしゃらに、、いや、凡庸にやってきた。労働で疲れた日には帰るや否や眠りについてしまい、風呂にも入らない日も多かった。時々家で彼を目にした時は、縮こまり何十歳も老け込んだ様子のこともあったが、何があったのかなんて聞くこともなく、興味もさほど持ってやらなかった。

ただ、僕は局部をずっと守ってきた。
外部から攻撃されそうな時僕は怒った。意図せず社会で飛び交う意地悪文句や卑劣な文言を聞かせたことはなかった。

会社のトイレで一休憩していたら偶々彼と目が合った。
彼はピチピチしていて割合元気な様子だった。僕はこんなに疲れているのに、君は分かっていないんだな、と思った。だが彼は僕を見るなり無邪気な笑顔を向けた。ーーー5歳の僕だった。

壮大な夢を持っていた。たくましい身体、何でもこなす能力。自然豊かな土地で生き物に愛情を持って生活をするということ。
彼は僕を、いつまでも社会に馴染ませてくれない。

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