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ハイスペ発達障害インフルエンサーについての強い違和感

近年では、発達障害をアイディンティティに活躍しているインフルエンサーの方々をよく目の当たりにします。
それは、それだ良いとは思います。似たような生きづらさを抱えた者同士が繋がり情報を共有することは、救いになる事が多いことでしょう。

ですが、その中には発達障害をアイディンティティにする必要のない方々も、多くいます。彼らは、兎に角目立ちます。カフェやバーを経営したり、積極的に催しものにイベントなどに参加したり、YouTubeを出して注目されて、Xのフォロワー5桁以上だったりします。積極的に本を出してる方もいます。彼らの中には、凸がギフテッドレベルで凹が平均以上、高知能高学力、容姿端麗、コミュ力高い、一般的な健常者より、能力や収入が高い場合が多いです。

私もかつて、彼らインフルエンサーを支持しすがって来たことがあります。救いになったこともあります。代弁してくれてありがとう…とも思ってきました。彼らを積極的にフォローしてきたこともありました。
ですが、段々それに違和感を感じるようになりました。
私は能力が低い側の発達障害者です。彼らとの能力差に悩んだりし、「どうしてこうなれないのか…?」「同じ障害者なのに…」と、おもうようになりました。
支持した所で、向こうはこちらを対等には見ないことでしょう。すがった所で、向こうの養分にされかねません。

一番懸念されるのは、彼らは兎に角目立つので、彼らイコール一般的な発達障害者のイメージが植え付けられ、本当に生きづらさを抱えている人が、理解されないことです。
彼らの意見が発達障害の総意のように思われる恐れもあります。素晴らしい才能があるんだ…高知能高学力なんだ…抜きん出てる凸があるはずだ…発達障害は個性なんだ…発達障害は言い訳には出来ないんだ…などと何も知らない健常者の方々が思ってしまわないか…?と、私は懸念しています。

発達障害からくる生きづらさを感じている人達が真に理解され、誰もが障害年金貰えるようになるには、発達障害をアイディンティティに活躍しているハイスペインフルエンサー達が目立たぬようになり発達界隈を去ったその時なのではないか…?とすら思います。

我々、一般的な発達当事者は目立つ当事者にすがるのではなく、自分軸で考え行動していかなくてはならないのではと、感じます。

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