苦っくっくー

素敵な字体だ
行書体というらしい、こんな文字をかけたら素敵だな。
近頃は全く力が出なくて、すべてにおいて無気力状態なのですが、これから頑張りたいなという気持ちもあります。気持ちと身体がバラバラな訳です。
なんでしょうかね、今の若者特有のなにかなにか力の出ない感じですかね。 まあなんでも、自分は特別な存在になりたいです。
ワードだと自分のユーモアに赤線や青線が引っ張られるのか。おもしろいような、いらいらするような、なんでもいいや
 
常々なんでもいいや、どうでもいいやという状態な訳です。困ったこった。やり始めようという気はあるのですがね。なんでだろうね。この古風な書き言葉は適当です。ちょっと好きな人を意識している気がしなくもない。
 
真剣に何かをやりたいな。
 
今日はピアノライブを見に行ってきました。素敵なものでしたけど、やっぱり自分と比べてしまって、自分は何でこんな人間なんだと自己否定感がありました。やっぱりどこに行っても人と比べてしまって、いやな気持になります。
最近の日常生活で心が動くことは少ないのですが、人と比べて悲しくなることは多くあります。
他に心が動くことは、音楽を聴くときです。唯一なにかから逃げられる手段である音楽です。逃げるための音楽というのもなんだかおかしいのですが、やっぱり音楽を聴くと心が揺さぶられます。
 
なにか素敵なものを見ても、聴いても、結局の心と体が一致していないので、体は動きださないんです。
こんな私に人に響く音楽など作れるわけもなく、、、とほほという感じ。
 
少しワクワクするのは運動です。こんな性格なので運動が苦手だと思われがちですが、運動は好きです。動き出すまでに時間がかかりますし、常に色々やることが山積みなので(自分が隙間時間を有効活用したり、早めに終わらせたりしないから)、あんまり運動はできていません。運動をすると、なんだか笑顔になります。心の中の私も少し嬉しそうです。自然と出てくる笑みというのはあのことでしょうね。走っているうちに笑顔になります。運動は素晴らしいです。楽しく笑って運動できる友達が欲しいです。
 
こんなことをしてる間に12時を回りました。残念ですね。本当はこれではなく書くべきレポートがあるわけです。逃げ癖がついてしまっているんですね。
 
わたしの逃げる時の癖は、逃げてもそれを正しいと思いこませていることです。今もそうです。これを書くことでレポートは先延ばしになりますが、この文章をどこかに載せて、これを読んで共感してくれる人いるかもしれないというおかしなことを考えて、これが正しいとして、今これを書いている訳です。こうやってどんどん逃げていくんです。恥ずかしいですね。(恥ずかしいと書いていてもやっぱり私の心にはこの言葉は触れられないのでまだ文章を書きます。)
 
わたしが今のところ人生でもっとも苦手なことは服屋さんで服を選ぶことです。とても苦手です。さっき運動は好きだというような文を書きましたが、部活をやめて今は肥満体形です。もともと服装には無頓着でしたが母が選んだかわいい服は着ていました。しかし肥満になった今、着れる服にも限りがあります。わたしは理想は高いのに、理想に近づく努力が全く足りていないので厄介です。肥満である人がかわいい服を着るのは邪だと思っています。よくそんな恥ずかしい格好でいられるな、太っているのに。よくその服を着て笑顔でいられるな、太っているお前が周りの子のようにかわいいと思われると勘違いいるのか、というようなことを思います。だから、わたしがかわいい服を着ていると周りの人が私のことをそう思ってみているようです。着ていられません。まあ普段かわいい服など全く着ていませんがね。格好悪い服装でいるときもアイツはなんでああなんだろうとかなんでそんな服でそんな顔でここにいるんだ、と思われていることでしょう。 まあそういうことで服が嫌いな私ですが、フォーマルなところに行かなくてはいけないときがあります。そんなときに着ていく服がないので、年に一度は服を母と買いに行くわけです。試着するときなどとっても自分が嫌になります。汚い気持ち悪いかっこ悪い、なんでここにいるんだと思います。みじめで恥ずかしい気持ちになります。だから服選びは苦手です。だから、「服屋さんに服を買いに行く」の次に「制服でない服で外出する」のが苦手です。制服は自分にフィットしていて、自分というものが出ないので好きです。大人になったらどんな服を着たらいいのでしょう。ずっと制服を着ていたいです。
 
わたしは結局、自立できないままなのだろうと思います。思いたくないですが。わたしはバイトがしたいです。父と母は成績が今より良くなればしてもいいと言っていました。どうやっても無理な順位を提示してきています。お金が入ってくる方がどう考えても家族に優しいと思いますけど。まあこれは子どもの戯言だと思うでしょう。今の成績をキープするだけで精一杯です。どうせ最後まで成績は平行線で、バイトはできません。社会見学のようなこともできず、専門学校に行って、どこかの病院でこき使われる人生です。そして適当に生きていって、死ぬんでしょう。なんと面白くない人生。視界が狭すぎる。もっといろいろなものを見て、いろいろ自分で決めたいな。これが自我の確立。成長ってすごい。まあ私が勉強を頑張ればいいわけです。でもなんだか力が出なくてボーっとしてもうどんどん時間が過ぎていくんだろうな。どうしたらいいの。急に頑張ろうって、できるかな。できない。今、いつものように前向きな言葉を並べて、心の表面だけポジティブにしても意味がない。このままだ。
わたしはこんな感じで人生が進んでいくのでしょうか。いやです。嫌です。何か変わるなにかを探したいですけどね。どうもまた動き出せません。無力な無能な自分に涙が出てきたよ。
 
自分の心としっかり向き合ったのは久しぶりかもしれない。けどどうしたらいいのかわからなくて結局いつも通りの生活をまた続けていくんだ。何を変えたらいいの。こうやって無意味だろうことを考えて、時間はまた過ぎていきます。ステレオタイプな自分の未来も見えません。心のどこかには奇天烈なハチャメチャで楽しい面白い人生を生きていきたいと思っています。細くなってかわいい服を着て、頭のいい人になって、だけど遊び心も忘れていない楽しい大人になりたい。
 
何も変わらないのはい
 
やっぱり心が動かないまま、表面だけポジティブになろうとしてしまう。こういう人なんだろうか、私は。こんな薄っぺらい人間だったのかな。まあどうでもいいとまた書いてしまいます。本当はどうでもよくなくて、私はどうすれば楽しい大人になれるのか。
楽しい想像を現実にしたい、想像をなかったことにして、あきらめたくない。看護師の免許取って、友達とバンドやって、ギターうまくなって、アイルランドに行って、現地の音楽を聴いて、いろいろ感じて、売れなくていいから曲を作って、友達と夜に散歩に行って、将来の展望について語って、鬼ごっこして家に帰ったり、英語も上手に話せるようになって、いろんな人とコミュニケーションを取れるようになって、かわいい服を着て。
全部やりたいよ、いまやりたいことをもう文章にしちゃったからなかったことにはできないよ。20年後の36歳の私がこれを見つけたときに、もう全部やっちゃったよー!16歳くらいからこんな目標あったんだっけ?!これからやりたいことでもまた新しく考えようかな!って思うか、ああこんなことやりたいって言ってたっけ、ああ今の自分からも遠い夢だよ、、って思うか。前者になりたい。なろう。こうゆう決意をみたらまたなんか泣けてきた。ボロボロですね、頭が悪い、
 
頑張れたらいいね、今からレポートかくよ。よしよし大丈夫。できる気がしてきた。携帯なんか見ずに、本当にやりたいことを見て!忘れないで!16歳の私は頑張ろうといま思ってる。答え合わせしようね!幸せな未来の私になってるか、なってるさ。大丈夫、だいじょうぶだよ、いっしょにがんばろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?