当り前だと思うなよ【3分小説】
青果物の入ったコンテナかごが所狭しと敷きつめられたマンションの一室で、三人の女性従業員が仕分け作業をしていると、中年の社長が現れた。「おはようございます」
三人は口々に挨拶をするも、社長は返事もせず静かな声音で言った。
「ちょっと、作業やめてみんな一回すわって」
冷徹な感じの一言に女性たちはすぐに思い当たった。
前日に従業員のミスが発覚し、各人にその旨の連絡があったのだ。三人は仕分け作業中の荷物を動かしてスペースを空け、丸椅子を持ってきて座ると、社長は肘掛けのあるオフィスチェアにどっしりと座って、不機嫌に話し始めた。
「あのさ、君たちがミスをすることで俺にどれだけ負担がかかるか分かる? 一時間だよ、一時間。一時間無駄に往復しなきゃいけないんだよ。オレがどれだけ忙しいか分かってるよね?」
女性たちは腑に落ちない感じで「すみません」とそれぞれに謝った。
そもそもミスの原因を作っているのは、社長の指示がごちゃごちゃとして要領を得ず、いたずらに混乱させるからであった。これは毎日のように起きており、指示が分かりにくいと改善を求めるも聞く耳を持たず、こうして従業員のミスと断定する態度に女性たちは心から謝る気にはなれないのである。
社長とは言っても、三十代後半の女性社員一人と主婦のパート従業員二人からなる零細企業の代表に過ぎない。地場産の青果物を扱った卸売りの会社を立ち上げ、主要業務のほとんどは社長ひとりで担っている。忙しいには違いないが、会社の仕組みを作るのは自分だし、社長がどれだけ忙しいとあてつけてきたところで、それも全部自分のせいだろうと、女性たちは思っていた。
「そうやって『すいません』って言やぁいいと思ってるだろ。もう何回目だよ。いい加減にしてくれよ。こっちはさ、君たちにちゃんと給料を払ってるわけだからね。ちゃんとその分の仕事をしてくれなきゃ駄目だよ」
実際払われている給料はパートは月数万、社員でも高卒初任給程度で、お世辞にもたっぷり与えているとは言い難い額であった。それほど偉そうに言いつけるようなことではない。
「本当に。ミスをしたからって減俸したりはしないけど、貰えることが当り前だと思うなよ」
社長の乱雑な指示でいちいち減俸されてたまるかと、女性たちは心の中で毒づいた。
「あなたなんか社会保険とか会社が負担してるんだからね。本当に、当り前だって思わないでね」
続けざまにたったひとりの女性社員に向けて社長はあてつけがましく言った。そうやって社長は、自分がいかに感謝されるべき存在かを露骨に言い表した。
「君たちが会社からもらって帰ってる野菜にしたって、当たり前のように持って帰ってるけど当り前じゃないからね」
社長がたまに「持って帰っていい」と言う野菜は、ほうれん草は黄色くしなび、きゅうりはカビが生え、柿は熟しきって形が崩れたものなどばかりで、会社から出る唯一の福利厚生と言えば、このような末期の青果物の支給ぐらいであった。新鮮野菜を持ち帰れるならまだしも、もはや廃棄目前の品物に有難味を持てと言われてもとうてい無理なのである。
「君たちはさ、決まって簡単に『ありがとうございまーす』って言うけど、本当に感謝してたらあんな軽い感じで言えるわけないんだから」
女性たちは顔を見合わせて、心の中で心底うんざりした気持を共有した。社長に「わかった?」と返事を促され三人はしぶしぶ「はい」と答えた。「君たちから何か言いたいことはある?」
叱言が終わったと思った矢先に、突然社長から質問をされ三人はとまどった。また女性たちは顔を見合わせるが、言ったところで聞き入れる度量などないことは分かりきっている。不毛な時間を過ごすことが目に見えていて必然的に出てくる答えは一つしかなかった。
「別に、ありません」
社員の女性が代表して言うと、社長は仰天した。
「え? ないの? ウソでしょ?」
この社長にリアクションに今度は女性たちが目を丸くした。この反応をどう受け取っていいのか分からず、恐る恐る「はい」と社員の女性は答えた。「こんなこと自分から言わせないで欲しいんだけど——今日、オレ誕生日だよ」
なにを言っているのだろう。女性たちの心にはっきりと浮かび呆れるほかなかった。
「いや、普通さ社長の誕生日だったらなんかあるでしょう? 大企業の社長じゃないんだよ。普段から世話になってる人に対して祝福もしないんだ、君たちは。こんなに世話してるのに」
女性たちはいっせいに心にプチッとするものを感じた。
「そんなに世話するのが大変でしたら、退職しますよ。どうもお世話になりました」
丁寧に頭を下げ、その場を立ち去ろうとすると、社長は慌てふためきながら言った。
「ちょっと待てよ! 君たちが辞めたらこの会社はどうなるんだ。オレ一人でできるわけがないだろう」
「そんなの知りませんよ。社長も私たちがここで働いていることを当り前だと思わないでくださいね」
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