茶汲【3分小説】
茶の良し悪しなど知らぬ人生であった。もっと早くに茶の奥深さに気付いていれば、夫婦の会話もちがうものになったであろう。そんなことを思いながら柴山は茶を淹れた湯呑を妻の霊前に供えた。
自動車部品の製造工場から独立して町工場を構えたのは、齢三十になろうかというときだった。自動車や産業機器のスイッチの設計から製造までを請け負い、従業員は多いときでも十人以下という手狭な所帯であった。この小さな町工場で他社との競合に勝ち抜いていくために、クオリティを落とさずどこよりも早く仕上げて納品するスピード感を徹底し、それを社の基本スタイルとして定着させた。
仕事を通して無数の人々と顔を合わせてきた折に、茶が幾度となく登場したことを思い出す。仕事合間の休憩や、来客、商談——数々のシーンで、当り前のように人々の前に湯呑が置かれた。むろん、あくまで添え物であるため脇に追いやられたりもするのだが、それでも無いとどこかバランスを欠いてしまう、そんな絶妙な存在感を放っていたと思う。
茶は決まって妻が淹れていた。妻には創業から事務方として働いてもらい、当然のように茶汲も任せていた。出された茶はごく当たり前のものとして飲み、数十年にも及ぶこの習慣に特別な感情を抱いたことはただの一度もなかった。客に出す茶は単なる礼節にすぎず、休憩で飲むにしてもせっかちな社風がほんのひとときのゆとりをも許さなかった。
倅たちが大人になり町工場を継ぐかどうかという話し合いが持たれたが、ふたり兄弟のどちらも継ごうという意思はなく、なければないで構わないと柴山も思っていた。還暦を過ぎ、古希を迎えるあたりでは計画倒産をして会社を畳むことを考えるようになった。わずかに残っていた従業員を段階的に転職させながら事業を縮小していき、受注・製造も柴山ひとりでできる範囲にとどめた。そして経理をしていた妻が病気を患い、亡くなったのを契機にすべての業務から退いたのである。
茶汲をしていた妻がいなくなって自分で茶を淹れると、その味の不味さに思わず顔をしかめた。茶は台所に残されていたものを使っているのだから、妻が淹れていたものとちがいはないはずである。だが茶の淹れ方をろくに知らなかったせいで、渋くて苦いだけの、色の濃い茶ができあがってしまったのだった。
何度淹れても妻が淹れたような味にはならず、どうしたものかと思案し、まず書店へ出向くことにした。そして茶の淹れ方を指南した一冊の本が、柴山を思いがけず茶の世界の魅力に惹きこんでいった。
『茶の淹れ方は無数にある』
このフレーズだけで茶の世界の奥深さをうかがい知ることができる。茶の種類によって茶葉の量、お湯の温度・量、浸出時間が異なるだけでなく、甘みを強く出したい、渋みを強めにしてコクを味わいたい、香りを楽しみたいなど、気分によって基本の淹れ方から少し変えてみるのも楽しみ方の一つであると記してあった。非常に感覚的で、自分が勤しんだ「ものづくり」の世界と通じるところがあるなと柴山は思った。
家にあったのは嬉野茶の釜炒り茶というもので、嬉野発祥の希少価値の高い茶であるらしい。妻の出身が嬉野であり、嬉野茶が特産であることぐらいは知っていたが、代表するものに蒸し製玉緑茶というものもあり、それも未開封で置いてあった。急須と湯呑は肥前吉田焼であることも分かり、妻がいかに地元の名産を誇りとしていたかを、このとき初めて知ることとなった。
本に倣って釜炒り茶の淹れ方を試みると、それだけでもグッと味わいが変わったのが分かる。何も知らずに淹れていたときより、格段に茶葉の特性が活かされた茶ができあがった。だがそれでも妻が淹れたものとちがうことも分かった。知らず知らずのうちに妻の茶の味を舌が記憶していたのだなと、柴山はしみじみ思った。
それからは何度茶を淹れたかは知れない。妻の味を求め、あれこれと模索をした。味わいは近づいたり遠ざかったりもしたがそれはそれで美味しく、気付けば茶の魅力にどっぷりと浸かっていた。
本を読み進めていくと、末尾にはこんなことが書かれていた。
『誰かにお茶を淹れるというのはコミュニケーションだと思っています。たかがお茶ですが、心を込めたお茶には感謝の気持ちや何かしらの想いが詰まっていると信じています。そんな日本茶の魅力が伝われば、これに勝る喜びはありません』
本から目を離して見上げると、茶汲をする妻の姿が浮かんだ。淹れ方だけではない、茶の品質だけでもない。それだけではない妻の想いがあったのかもしれないと思うと、もう二度と妻の茶の味に出会えないような気がして涙が浮かんだ——。
霊前に供えた茶には妻に対する詫びと感謝の気持ちを込めている。誇り高き嬉野茶の心を汲めなかったことを妻は許してくれるだろうか。心で言葉を浮かべながら遺影を見つめていると、ふと茶の表面がかすかに揺れた気がした。
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