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敢えて、敢えての途中書き(7月11日雑感)~ネタの探し方etc.~

こんにちは。
朝の挨拶とは言え、
もうおはようございますという時間でもないので…

さて、
今日の表題にもしましたが、
日々ネタを提供する時に、
見つかっていない時は、
それこそ這いずり回るように、
ネタを探している訳なのですが…
見つかったら見つかったで、
そのまま料理や味付けせずに
提供している訳ではないんですよね。

短歌を書く時にも、
note記事を書く時にも、
共通しているのが、
様々な出来事やキーワードを素に、
一つのネタとして、
完成させていくのかなのですが…
ブログでも短歌でも、
印刷や公開記事にしない限りは、
達成されたものであっても、
完成されたものではなかったりします。
推敲や校正・校閲(セルフ含め)を経て、
よし、
これで行くぞと、
ボタンを押す訳なんです。

私はデジタル記事を読む事・書く事に慣れてしまったせいか、
基本的に新聞記事の様に文字が敷き詰められたものが苦手になってしまっています。
出来る限り多くの事を伝えたい人の事情も理解もします。

ですが、
短歌にしても、
一つの記事にしても、
あまり多くの事を詰め込み過ぎると、
大切な事や伝えたい事がぼやけてしまうのを、
少なくとも自分の記事を読み書きする上では実感させられるんですよね。

無駄に時間や字数を割けば良い訳でもない。
時には、
物足りないなと思う所まで削り切ってみる。
彫刻したり、
アナログで描く時には、
なかなか使いにくい手法ではあります。
どっちかというと、
粘土細工のような作り方をしていたりします。

そうすると、
ジグソーパズルの部分や、
無理矢理継ぎ接ぎしてる部分も、
含めてどうにか面白いものにならないかと、
こねくり回してしまうんですよね。

散々、
弄り回した方が面白い場合もあれば、
寧ろ、
最初の直感の方が優れている時もあるので、
その時々で、
ときめいた時に、
全体保存や一部保存をかけたりする訳です。

良いなと思った瞬間を逃さない様にするのが、
撮り手の責務だと思う訳です。
写真にしても、
動画にしても、
物書きにしても、
その本質は変わらないものではないでしょうか。

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