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映画帰りは自分宇宙

先日、いやもう少し前かな、「ブルーアワーにぶっ飛ばす」という映画を見た。

すごーく良い映画で、1人で過ごすには贅沢すぎるような2時間が夢のように過ぎていった。主題歌の曲が凄く印象的で、感動させるような映画ではないものの、うるりと水分の溜まった目から少しの涙が零れ落ちた。

「うん、最高な休日だっ。」

なんて心の中で呟いて、帰路に着く。

劇中でもキーワードになる"ブルーアワー"というのは「日の出前と日の入り後に発生する空が濃い青色に染まる時間帯のことである。元々はフランス語のl'heure bleueに由来する。(Wikipedia参照)」らしく、映画館を出た時間がちょうど日の入り前だった。

「ブルーアワーの東京を歩いて帰ろうか。」

なんて、気楽な考えで新宿駅へ向いていた足を新大久保の方へと進めた。

そうすると、映画の余韻に浸るよりも、人生の余韻のような記憶がふわふわと頭の中に過ぎり、微かな心地の良い走馬灯のようなものをぼんやりと霞めながら街を歩くことになった。

日が沈み始めて、あたりは本当に青く包まれていく。あまりの青さに驚き感動した。ブルーアワー本当にあるじゃん、そんな関心が心を打った。そうすると、美しき紺碧の空は冷徹にも僕の心を突き刺すように、憂鬱な鬱蒼とした自分が少しだけ顔を出して、叶わぬ恋を願ってしまう。

沈みゆく光の奥で、薄く青い街角から憧れのあの人が歩いてくるんじゃないかな、そんな気持ちの悪い妄想が僕を覆う。メンヘラみたいなやつが嫌いだ、なんて思っている自分はなんだかんだ時々弱い心に飲まれてしまうのだから、人のことなんて強く言えないよな、そんな反省に少し心が痛くなって、唇を噛みしめた。だけど、あの人が歩いてくることなんてなくて、なんだか自分の生き方が否定されたような気がしてくる。奇跡を望みすぎだよ、自分。また僕はそうやって言い聞かせた。

「はぁ、こんな自分に生まれなければ良かった。」

そう思うのだけれど、いつも自分はそんなふうに思える今の自分ってすげーなって思うのだ。いつか絶対に自分のことを好きになってやるって、そんな気持ちの方が強く湧いてきてしまうから。心が脆くて弱いくせに、自分はとんでもないくらい前を向いてしまう。それにきっとそのために死ぬほど走っていくのだろうな、なんて揺るぎのない決意が心の扉をノックした。

少し前までこんなふうに思えなかった自分が、今足元のタイルに涙を零すことなく、尊い青の空を仰ぎ見上げて走り続けていけることが奇跡のようで現実だ。

だから、そんな自分を少しずつ遠くから見てみたり近くから見てみたりして、もっともっと「自分らしく」なっていきたい。それで、誰かのためになる何かを少しずつでも作っていけたのならな、なんで思うのだ。

「考え事は尽きないし、楽しいな(笑)」

なんて、小さな脳みそに思いを巡らせた映画帰りの散歩道は、まるで宇宙のような自分だけの世界だった。