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愛情の確認

私はしょっちゅう自家中毒になった。
小学校に上がって3年生頃にはすっかりなくなったけど、幼稚園に入る前から幼稚園頃は
本当にしょっちゅう自家中毒で、何度も入院した。

なったことある人はわかると思うけど
とにかく吐く。ホースのように吐くことも多く
吐く物がなくなっても、胃液も吐いて
とにかくひたすら桶を持って寝込んだ。

私の小さい頃は、ポカリのような便利なものもなくて、病院に行くと脱水にならないように番茶をひたすら飲ませるように言われたようで、私はそれが苦痛で仕方なかった。
番茶を飲んでもそれをまた全部吐くことが続いたので、結局病院で点滴するしかなくなり入院することが多かった。

その頃病気がちだった祖父母にも頼れず、父は仕事で留守なので、母は自分の肩にタオルをのせて、吐き続ける私をおぶり、入院の荷物を持ち、2、3キロしある大きい病院まで入院させてもらうために歩いたこともあったと聞いた。

母は厳しかったけれど、私が自家中毒になったり病気をすると当たり前かもしれないが、必死で看病してくれた。厳しい母はいなくなり、私はその時は何が食べたいだの、どこがしんどいだの、母にワガママというか素直に甘えを言えていた気がする。母も、全く嫌な顔せず全て受け入れてくれていた。
だから病気になるのが案外心地よかった。また優しくしてもらえると少しウキウキした。身体はつらいんだけど、心は穏やかで気持ちよかった感覚がある。だから、必死で喉の奥まで体温計を咥えて少しでも熱が上がるようにやってみたりしていた。

私は母の愛情に飢えていたとかではないと思う。ただ確認したかったような気がする。
厳しい母が、ちゃんと私を本当に愛してくれているのかというのを確認したくて、優しい母の姿を見たくて、もしかして自家中毒になったりしていたのかなと思う。

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