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文鳥

小さい頃に文鳥を飼っていたけれど、手乗りの放し飼いにしていて、、足元にいるのを気づかずに踏んで死なせてしまった。3、4歳の頃だった。父の手の中でだんだん死んでいくのを見ていた。その時の感情は覚えていない。泣きはしなかったと母には聞いた。

その後小学校の時はインコを飼っていたこともあったけど、高校卒業の頃にまた文鳥を飼うことにした。
普通なら元気そうな雛を選んで決めることが多いのかもしれないけれど、私は隅っこで他の子に踏まれてるような文鳥の雛を選んで買って帰った。

案の定、弱くて中々餌も食べず、本当に手のかかる病弱な鳥だった。しょっちゅう鳥専門の病院に連れて行った。それでもあまり元気に鳴ることなく、数年で死んだ。

その後も文鳥を何度か飼ったけど、弱い子は大変というのは経験してるのに、やっぱりペットショップで隅っこで震えてるような雛ばかり目について、ダメだとわかっているのにその子が気になって仕方なくて、結局その弱い雛を買って帰り、また必死に育てて病院に通って寿命まで育てて…を繰り返した。

ある文鳥は消化がうまくいかずに何日も入院することになり、車で1時間かけて毎日病院までお見舞いに通ったりもした。

母に、
「なぜ元気な子を選んでこーへんの?!同じ値段出すのに弱い子ばっかり選んできて、手かかるし病院代も余計にかかるやんか。元気な子やったら何もいらんのに。」
と、毎回言われた。

私もそれは頭では十分分かってるし、今度こそは元気な子にしようといつも思う。
なのにペットショップで弱そうな子を見ると、どうしてもその子を引き受けたくなってしまった。
放っといたらこの子はどうなるんやろう…なんて私には関係のないことなのに、どうしても弱々しく目を瞑ってじっとうずくまってる雛が気になって仕方なくてその雛を選んでいた。

何で私は弱い子をあえて選ぶんだろうって自分でも不思議だった。元気な方がいいに決まってる。
毎日大丈夫かな、と気にせず気楽にすごせるのに
なぜあえて手のかかる方を選ぶのか、本当に自分でも分からなかった。

私は世話をするのが好きなんだろうか。
小学生の頃、看護婦さんになりたいとずっと思っていた。それは中学になっても変わらなくて、担任の先生に看護婦になりたいんですけど…と言った覚えがある。それがうちの親の耳に入って、
「何考えてんのや!」と怒られた。親戚の医者も私を説得しにきた。

結局私は親に逆らうこともなく、看護婦になりたいというのは段々薄らぎ、そのまま付属の高校に上がりそのままエスカレーターで大学までボケーーっと進んだ。

その私が結婚してできた子供は
心臓病である。そしてその4回目の心臓手術の後遺症で、高次機能障害になり、左足が麻痺している。

私は母としてではなく、子供の命をつなぐために看護婦として毎日生きてきた。母と感じた日は全くない。母になりたいとかそういう感覚をもつ暇すらなかった。今でもまだ、母というよりは
看護婦であり、リハビリの先生であり、療育の先生という役割の方が大きいと思う。


でも、本当に心臓病の子供との毎日は緊張の連続で、「とにかくこの子の命をつなぐ」これしかなかった。
「なんで私は文鳥だけでなく、子供まで弱いのを育てることになるんやろ…」と泣き喚いたことがある。
その時主人に、
「今までずっと弱い文鳥ばかり飼い続けたのは、この本番のための練習やったんかもしれへんな」
と言われた。

きっと、弱い文鳥ばかり世話してるのをあっちの世界から見てた子供が、このお母さんなら育ててくれると思って選んできたんやろ

と言われた。

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