雲を消す男

入道雲が怖かった。
高い山々に囲まれた町で育った僕は、その山より遥か上から襲いかかる入道雲が、津波に見えた。
アナウンサーや先生たちは「30年以内に大地震がくる確率⚪︎⚪︎%」という意味があるのかないのか分からない予測を僕たちに教え込んだ。
そんな教育の甲斐あって、ただでさえ臆病な僕の「怖いものリスト」には地震と津波が追加され、入道雲もその隣に並ぶ事となった。
僕が小学生の頃の話だ。

詳しい時期は覚えていないが、僕の父親の精神状態が少しヤバかった頃、「俺は雲を消せる」といって僕をベランダに連れ出したことがある。
たくさんの雲の中から「今からあれを消す」といって一つの雲を指差し、何やら念じ始めた。
言っている意味も分からなかったし、「あれ」というのがどの雲なのかも分からなかったが、それなりの気遣いもできた僕は一緒にやってみることにした。
コツを聞いたところ、「強く念じるんだ」という全く参考にならない答えしか返ってこなかった。結局独学かぁと思いながらも、僕は二代目雲消しを襲名するために努力に励んだ。
当たり前だけど、雲は流れるばかりで消えることはない。形を変えながらウネウネと動く雲たちを、小学生の僕と様子のおかしな父親が眺めていた。
夏の日差しは強く、青と白のコントラストで目が焼けるようだったのを覚えている。
いくら念じてみても、僕に雲を消すことは遂にできなかった。父親は二個消していた。

今思うと、かなりヤバかったんだな、親父。大人になって少しはわかる気がするけど、あの時大変だったもんね。「眠るのが怖い」と言っていたのを今でも覚えてるよ。
そんな"雲を消す男"こと僕の父親は、今や普通の男になった。最近では孫が生まれて、赤ちゃん仕様にするため実家のリフォームに勤しんでいる。

僕はというと、入道雲はもう全く怖くない。
夏の風物詩として美しく感じるくらいだ。
まぁそもそも東京の空はとても狭く、見上げることもそうないのだけれど。

とはいえ、地震や津波は今でも「怖いものリスト」のトップに君臨している。
変な雲が浮かんでたらいつでも消せるように
ちゃんと練習しておこう。
二代目にはあんまり才能がないみたいだけど。

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