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noteでやりたいこと、考えてみたいこと

歴史は暗記科目か。
結論からいえば、違うと思います。
僕はこれについてはずっと、長い間考えてきました。仕事柄、考えずにはいられませんでした。

学校で習う歴史は、日本史であれ世界史であれ、一般論として暗記科目と見なされていることが普通です。そしてここでいう暗記にはたいてい悪い意味合いが込められています。

本来の歴史科目は、ひとことでいえば、「歴史的思考力」を養うことが目的になっています。少なくとも国はそういうのを目指している。

そしてこの「歴史的思考力」とは、なにかを丸覚えすることではないのだろう、と多くの人が思っているわけです。

僕もかなり頑張って歴史的思考力とは何なのか、考えてきました。10年以上も考えていますが、今もその途中です。

これについてはまたいつか書きたいと思っています。

ただ、歴史的思考力を養成するはずの時間が、世間で言うように暗記強要の時間になってしまうのだとしたら…

僕はここで閃きました。それがこのNoteをやろうと決めた理由です。

つまり、暗記強要的な歴史科目の時間から、各こどもたちが暗記プラスアルファを受け取ってくれるようになってしまえば良いのです。

それは、歴史を受け取る力。テキストから歴史的なものをキャッチする感覚です。自分のものにしてしまう力。自分の人生という時間軸に並行して歴史の時間軸を想定する感覚。

この歴史感という言葉は与那覇潤さんの本を読んで、共感を覚え借用いたしました。与那覇さんの議論通りの意味ではないかもしれません。ただ、僕が探していたものにあまりにもピッタリの言葉のようにも思われました。

僕は歴史感とは、前述したようにあるテクスト(広い意味で)を読むときに、どれくらい「歴史を受け取ることができるか」、ということだと理解しました。

すなわち、レディネスやリテラシーの問題に近いのではないかと。

そしてそういう歴史感がこどもたちに備わってくれれば、彼らの人生は豊かになり、世の中も豊かになるんじゃないか。

そう思ったときに、この感覚はできるだけ早い段階でこどもたちに入ってくれればいいなあと閃いたのでした。

だからこどもたちの歴史感を育てることを目的とした何かを作りたいのです。

もちろん、僕の考えや手法も荒削りで、漠たるもので、洗練していく必要があります、大いに。

このNoteを僕は、考えをまとめる場、新しい児童文学の創造の場にしたいと思っています。

こどもたちそれぞれが備えている歴史感という若い芽に、水や肥料、お日様のような役割を果たす、そんな何かをつくってみたい。


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