【限界飯】寝過ごした終電と牛丼

電光掲示板の時計は1時13分。私はしばらくそのゴシックの数字を眺めた。
正確には、折り返しの電車がまだ来るのではないかと時刻表を眺めていた。
しかし、時刻表は真っ暗のままだ。

電車のドアが開く音がした。
頭が痛い。眠い。ドアは空いているが、なんとなくまだ降りないでいい気がした。
2週間前、私は地元の愛媛から上京し、三鷹駅から徒歩10分の6万5千円のアパートに引っ越してきた。憧れの一人暮らし。憧れの男子大学生。

1週間前に大学の入学式があった。

隣の席に座ってきたのは自分より少し背の高く手足の長いやつだった。そいつは、式中も落ち着きがなく、すぐに式典の紙をおとしたり、LINEの通知を鳴らして、手を頭の後ろにもってきてお手本のように恥ずかしがっていた。

「あの、一緒にサークル回りません?」

出たよ。俺の前に張ってる境界線をずかずかと超えてくるやつ。
しかし、もちろん東京に友達がいない私はなんとなくそいつについていくことにした。
第一印象はあまり良くなかったが、そいつは意外と悪い奴ではなくそこから毎日のようにそいつとサークルの新歓コンパで500円でたくさん飯を食った。そいつと俺の即興漫才ばりの掛け合いを同じ新1年生の女子は白い目で見ていたが先輩からのウケはよかった。

「おいおい。こっち来てみろ。こいつらクセ強えから。」
俺たちは行く先々のサークルでクセが強いと面白がられた。
後輩が自分より面白いことになってしまうと1年生の女子から人気がなくなってしまうと恐れている証拠の言葉。それが
「クセが強い」
こういうことによって、決して面白いではなくクセが強いと濁すことができ、自分の面子を保つことができるのだ。
俺はこういう先輩が嫌いだ。

今日は、オールラウンドにいろんなスポーツを週一で行っているサークルのコンパに行った。
まあ、、オールラウンドとは名ばかりのただの飲みサーである。
会場につくと、早速カシオレやビールがピッチャーで運ばれてきた。
田舎出身ということもあり、祭りなどで近所のおっちゃんに酒を飲まされたことはあったが、しっかりと飲むのは初めてで、緊張感と高揚感が自分の心の中で入り乱れていた。
今日もいつものようにあいつと漫才を披露していると、俺たちは男の先輩がいる卓に連れていかれた。そこでは、ゲームなるものが行われており、ゲームに負けるとお酒を飲まなきゃいけない。
俺は初めてのゲームに負けまくった。
結局そいつにおんぶされるような形で無理やり最終の中央線にのせられた。旅行の時で荷造りをするときにつかれてとりあえずスーツケースに押し込むような感じに似ていた。

「次は西国分寺」
最初は聞いたことのない駅名で夢かと思ったが、徐々に寝過ごしたことを自覚した。今では夢であってほしいと思っている。
「なんとなくまだ降りないでいい気がした。」
とかほざいていた自分をぶん殴りたい。一駅でもいいから近い駅で降りた方がいい。

そして今私はとりあえず新宿方面のホームにたって電光掲示板をただ眺めている。
バイトも始められていない大学1年生にタクシーなんて無理だ。
困ったときはとりあえず親に連絡するよう子供のころから教えられてきたが、この場合、親は寝ているし、愛媛から車で迎えに来てもらうのは不可能だ。
というよりまず東京で寝過ごして愛媛から迎えに来てもらうってなんだよ。
新歓コンパで鍛えられた即興漫才を自己消化したところでとりあえず私は改札を出た。グーグルマップで西国分寺から三鷹まで徒歩での時間を調べると2時間15分と出てきた。

「歩く、、か、。」

酔って気分が気分がハイになっている自分が絶望の自分をわずかに上回り、私はコンビニで500mlの水を買って深夜の街に繰り出した。

私は初めての街、大東京で深夜徘徊を始めた。
後で気づくのだがグーグルマップの徒歩の時間は大嘘である。あれは競歩選手のベストパフォーマンスでの時間を示している。

国分寺駅まで来た。1駅歩いたところでもう泣きそうだった。頭は痛いし、足はふらふら、胃は気持ち悪いし、とにかく寝たい。というか泣いているのかもわからないくらいわけがわからなかった。
国分寺は結構栄えていて、ラーメン屋や居酒屋がたくさんあった。ラーメンの臭いが胃にきつかった。ほとんどの店が閉めかけの状態で暖簾を外す店主と何度か目が合った。「俺は行きたいんじゃないです」という意図を必死に無言で訴えた。

武蔵小金井駅。足はもう限界だが、1時間ほど歩いたことで酔いがだんだんさめてきた。と同時になぜか急激に腹が減ってきた。
見覚えのある牛丼チェーン店の看板を見つけた。
私は自分の財布を確認した。
500円玉が1枚と10円玉が3枚。
こういう時に限って脳が爆売れ中のハンドスピナーくらい回転する。
大学受験の日の数学もこれくらい回転してほしかった。

脳が縦と横に7回転ずつしたところで私は、一文無しで残り三駅歩く覚悟を決めた。

寝過ごして5駅歩くという自業自得の事態にも関わらず、5駅歩くからご褒美にネギ玉牛丼にしよう。
私は都合のいいご褒美をぶつぶつとつぶやきながら、食券を購入した。

運ばれてきたネギ玉牛丼は、いつもとなんら変わりなかった。
最初は一口一口かみしめて、コース料理のように2時間ほどかけて味わおうかと思ったが、箸が止まらなくなりいつも以上のスピードで口に流しこんだ。ねぎは畑で収穫されたくらいシャキシャキだった。いや、この時の精神状態の自分にはそれくらいの価値があった。いや、あると思わないとあと3駅歩く気力がなくなってしまうのだ。
牛はたぶん、この前川越シェフが調理してたやつと同じだ。たぶんA5ランク。A5とは言わないまでもA4はいってる。いやB5くらいはあるか。そもそもA4とB5ってどっちが大きいんだっけ。

とにかくうまかった。

言葉にできないくらいうまかった。というのをどうか創作者の逃げだと思わないでいただきたい。切実に。

たれの味がしみ込んだ牛肉と玉ねぎ、そこにシャキシャキのネギがいいアクセントとなっている。白米も硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどよい。何よりたれと絡んでご飯が進む。最後に紅ショウガを乗せると、甘辛いたれと酢のきいたショウガのコントラストで一気にノックアウト。

これで言葉にできてないとは言わせない。

私は返却口で三回深くお辞儀をした。とにかくお辞儀がしたかった。店員さんは怖くなって店長を呼んだかもしれない。

大分気分が回復した、。酔っぱらった体は、気持ち悪くて何も食べないよりも、無理やり飯を食って消化活動を再開した方がいいのかもしれない。科学的にはなんの根拠もない話である。

東小金井を過ぎたころから鳥が鳴き始めた。
武蔵境を過ぎるころには隣を電車が走り始めた。
なんだか笑えてきた。
絶対に電車に乗った方が速いのに、意地になって電車に乗らずにあと1駅歩いた。
結局アパートに着きベッドに入ったのは、めざましテレビもすでに中盤で、占いでふたご座が1位を取るころだった。幸い授業は昼からだったので助かった。

忘れられない東京の洗礼を受けた。

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