見出し画像

位牌の成立 儒教儀礼から仏教民俗へ 菊池章太

位牌の歴史が知りたいと思って手に取る。期待に違わぬマニアックさです。
結論としてはタイトルの通り。日本の葬礼のルーツは約2000年前、十一世紀後半の中国で朱熹が「家礼」をまとめたあたり、儒教において取り決められた儀礼の中に始まる。それによれば位牌とはつまるところ、シンプルに「依り代」である。そうした依り代を古代中国では、一連の葬儀の中で「銘→重→主」という風に展開していく。なぜ分けられているか、それは儀礼の段階、霊魂の在り方に対応しているからだ。現在日本で行われている四十九日までは白木位牌、それ以降が漆塗の本位牌という対応もそれに由来している。元来四十九日では、七日ごとに次の生に転生すると考えられているがそれまでを凶礼、転生したそれ以降は吉礼とみなした。そのタイミングで位牌を替えていたと筆者は推測している。確か本書によれば、東から屋根に登って屋根の上で名前を3回叫んで、衣服を下に落として桶で拾って…みたいな繫雑な儒教の儀礼が中国でも変化しながら徐々に日本に伝わり、最初禅宗の中で規範が出来上がってくる。そして江戸時代、寺請制度によって全国的に仏式葬儀がほぼ義務付けられ、今に至る。概ねそんな流れだ。

よく葬式仏教と言ったりするが、実際日本で行われる葬式は全然仏教的ではない。元々仏教は輪廻転生の体系をもっているので、遺骨も墓も位牌も意味はないのが本来の立場である。ちなみにお盆もお彼岸も仏教とは関係ない。お盆は本来は祀ってくれる人のいない孤独な霊魂を鎮めるための道教の古い儀礼=中元節だった。それが仏教行事の盂蘭盆会と融合していった。まずもって、祖先という発想も儒教に基づいている。中国の儒教では、霊魂という存在を肯定しており、祖先の霊魂が生きている人たちと同じ世界に存在することが前提となっていた。そこに依り代、つまり我々が位牌と呼ぶ物が作られる素地があった。葬式仏教という言葉は誤解を招きやすい。ルーツを遡れば実際には私たちの宗教観は仏教をベースとしながらも、儒教、道教、神道、陰陽道、その他民間信仰が混ざったカレーライスのような宗教観なのだ。そして位牌もその中で生じたものだ。

かつては位牌の起源を、神道の霊代(みたましろ)とする説や、禅宗における逆修(生前に没後の仏事を営むこと)を起源とする説があったが、やはりそれは戦前に出されているだけあって日本人の希望的観測が過ぎるようだ。逆修は、生前に戒名が与えられるわけだが、授戒によって病気を治し、寿命を延ばすという仏教とは関係のない民間信仰だった。本来、禅宗によって規定された葬送儀礼は、あくまで僧侶の葬礼であり在家の為のものではなかったが、禅宗寺院が勢力拡大を図る中、逆修によって生前に戒名を授ける方式が在家信者に普及し、それが現代の葬儀にまで繋がっている。

位牌が日本で最初に用いられたのは曹洞宗である。鎌倉時代、道元を開祖とする曹洞宗はいわゆる只管打坐、釈迦がそうして悟りを開いたように座禅の宗教として始まったわけだが、残された記録によると、応仁の乱あたりから座禅の話題が葬儀の話題を下回るようになってくる。そしてついにはほとんどが葬儀の話になってしまう。しかしながら座禅の宗教から葬儀の宗教へと変転することで、曹洞宗は郷村の宗教として今でも最大の寺の数を誇る。

一方で、日本の仏教でも位牌や墓の存在を肯定しない一派があった。親鸞に端を発する浄土真宗である。浄土真宗では、仏壇はあるが位牌はない、墓もないので一握りの骨を本山に納骨するのが通例である。では仏壇には何があるかというと阿弥陀仏がある。祖霊という観念がなく、死ぬと阿弥陀仏とひとつになる。親鸞は「賀茂河にいれて魚にあたふべし」といったとされるが、ここに古代インドの仏教の理想が精神として残っている。現代では実際のところは墓もあるし(浄土真宗独自のルールがある)、法名軸というものがあったり、過去帳を置いたり、地域によっては位牌を祀ったりするようだ。

真宗は講で民衆を獲得し、臨済宗は京都鎌倉五山で学芸的な発展をし、曹洞宗は葬儀をベースに将軍や支配層を外護者として農民層を獲得して地方伝播していく。概ねこのようなイメージとして捉えてよいようだ。

そして江戸時代に寺請制度が始まり、あらゆる階層に仏式葬儀が強制される。ここで一般に位牌も仏壇も普及していく。今から約300年ほど前の事だ。ちなみに当時の家財の売却目録によれば、結構貧しい家にも仏壇は普及していたらしい。一般的には寺請制度はキリシタン摘発のためと言われるが、本当の目的は戸籍管理、農民の固定=農業従事者の絶対数確保にあった。明治4年の戸籍法制定によって壬申戸籍が編成されるまで本末制度に基づく寺院による宗門人別帳が戸籍台帳となった。本末制度とは、本山と末寺の関係を示した本末帳を幕府が寺院統制のために提出を命じたものだ。本末帳に記載された寺だけが寺請制度を執行する資格を持つ。これによって独立寺院は全く認められなくなるので、檀家を獲得するためには本末帳に登録するしかない。こうして不受不施派など一部を除いて日本全国の家はすべて檀家として寺との関係を結ぶことになるが、ここに寺院との関係が葬式と法事だけで繋がる形式的なものへとなっていく端緒がある。

ここでぜひ記しておきたいことは、慶長18年に幕府が交付したとされる「御条目宗門檀那請合之掟」である。結論から言うとこれは寺院による偽造だった。この掟書は、檀家が寺の経営を負担すること、新築改築費用を寄進すること、葬式や法要を寺に依頼することなど、要するに寺の要求するものと檀家にとって重荷になるものが十五箇条として都合よく定められている。今でもこれは全国の寺院に格段に大切にされ多く伝わっているらしい。貧しい村の中に立派な寺院の甍が聳える風景はここから始まっている。

批判的な見方をすれば、人を救うべき宗教が貧しい者たちから栄養を吸い上げ、200年以上経つ現在もなお過去の遺産にしがみつきながら、大手を振って歩いているような話もごく一部だとは思うがチラホラ聞く。しかもそれが寺院権力による偽造にルーツがあったとすれば本当に由々しき問題だろう。もちろん役に立ってる部分も大いにあるのだが、しかしながらそれが現在に至るまで悪い意味で尾を引きずっていることに驚きを隠せない。21世紀になってようやく時代が変わり、コンビニより多いと言われる寺が人口減少によって衰退の危機にさらされている。いま、地球規模で不透明な社会となり、人が悩める時代に突入していることは間違いない。厳しい状況を良いきっかけにして、結果的に遅ればせながらの宗教改革のような動きが草の根的に活発化することを祈りたい。

新しい墓を作る立場として、もちろん既存の宗教がもたらしてきた様々な遺産は承知しているが、形骸化した宗教教義や儀礼を旧態依然としたまま、暴利をむさぼるようなやり方は当然淘汰されるべきだと思う。今は宗教といえども経世済民である。戒名など腐臭漂う生臭坊主にもらうより、AIに書いてもらったほうがよっぽど良いものができるだろう。

位牌の成立については想像の域をでなかったが、改めて私達の宗教観が歴史的に異種混交していることはもっと意識されてもよいし、また儀礼というものが所詮人が都合よく作った形式であり、それは人の心の変化と共に変化していくものだということも自覚されてよいように思う。一方で儀礼は単なる形式であるが故に、その意味は合理性では図りきれないものを含んでいることも事実で、ベースには人が本来的に持つ死への恐怖や、苦や業や罪への贖いの意識が流れている。故に儀礼は無くなることもない。
御経ひとつにしても浄土へ導くような美しい声で読誦する努力は必要だし、位牌もまた依り代として生活を豊かにするものであるべきだろう。当然時代にそぐわず忘れ去られていく形式もある。改めて何のためにあるのか、常にその存在意義を根底から考えてみる気持ちを忘れないようにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?