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古代憧憬と機械信仰 コレクションの宇宙 ホルスト・ブレーデカンプ、加賀の潜戸を添えて

本書は近代的な博物館の前身とされるクンストカマー(驚異の部屋、珍品陳列室などと訳される)の歴史的な変遷を分析している。市民に開かれた今の博物館とは異なり、本書が研究対象にしているクンストカマーは15世紀~17世紀の王侯貴族や高位聖職者などが収集した汎ヨーロッパ的でエンサイクロペディア的なコレクションである。そのコレクションは支配層にとってミクロコスモスであり、雑多な収集物というより宇宙観の表現だった。ゆえに国やヨーロッパにとどまらず世界中の異国的な品も含まれる。ブレーデカンプはこのコレクションがいかなる思想に基づいて収集されてきたかを多数の図像を読み解きながら分析している。

アーティストとしては自分の作品が美術館に鎮座することを夢見るのが普通なのだが、もともと私は自分の作品が美術館よりも博物館にある事に憧れている方だった。アートを始めた頃から、博物館に収まるような人類の叡智が生み出してきた文明の数々よりも、一枚の絵の方がはるかに高い値段で取引されるということは非常に不可思議なことだと思っていた。所詮個人の自由、されど個人の自由。この価値基準は難しいのだが、この自由の象徴である遊び=芸術、終わりのない余技にこそ価値を見出し、創造主にまでなぞらえてきたのが西洋文明だった。確かに人は人生をほとんど先入観と常識の中で生きる。生きざるを得ない。そこからどれだけ自由であるか、流行りや常識から自由であるか、また罪や欲から自由であるか、本当の自由というのはかなりリスキーで、少なくともある程度人生や命を掛けて行われることなのだ。その先の風景を見せてくれるのがその冒険だけだとしたら、それは確かに不完全なヒトが人たらしめる尊い営為だと言えるかもしれない。
しかし一方で、私たちの祖先が数十数百万年をかけて築いてきた文明社会を支えるあらゆる発見や技術の天文学的な蓄積は、そんな個人の自己顕示欲などと比肩できるものなのかと考えることもできる。ましてや今のマネーゲームと化した現代アートの世界で億単位の値段がついたことが果たしてどれだけの価値があることなのか疑問に思うこともある。無論、そこにはちゃんとした理由があることもわかるが、一般にほとんどのアーティストの作品は死後値下がりするという話も頷ける。99.9%のアーティストというのは生臭坊主と一緒で、煩悩まみれで、いくらカッコいいこと言っても大元を辿れば目立ちたいだけなのだ。作品では環境保全を謳いながら環境破壊する大金持ちに食わせてもらうしかない河原者なのである。というのは単純な話で、ただ単に凡庸なアーティストである自分自身がそうだからであって、ゆえに自分個人の想いなどに価値を見出すことができなかったというだけの話なのかもしれない。アートがそうなのではなく、自分がそうだっただけ。美術館より博物館と思ったのはそのあたりに理由があったのだろう。もう少し若い頃は、知れば知るほど優れたものがたくさんある事がわかるだけで、どこをどう探しても自分の中に磨けば光る自由な何かがあるとは思えなかったのだ。

さて本に話を戻す。「古代憧憬と機械信仰」というタイトル。なんとも堅苦しいのだが、芸術という営為を言い得ている。芸術というのは結局のところ、近代以降は特に、古代と最新を行き来したり、観念と現象を行き来したりするものだからだ。ブレーデカンプはクンストカマーの宇宙論的な分類を、自然物―古代の彫像―人工物―機械という流れで歴史化して見立てた。現代の私たちから見ると古代の彫像と人工物がどう異なるのかが一見わからないが、彼らにとって古代ギリシャやローマは特別な意味を持っていた。民主主義や共和政が始まった古代は、未開の自然状態から文明に至る仲介=境界として位置付けられているようだ。それまで自然史ではなく自然誌であったクンストカマーは、自然物の特性や用途などによって分類されていたが、古代の彫像と自動人形が加えられることで、自然史としてのクンストカマーへと変化していく。そして16世紀に新たに「機械」という連鎖が付け加えられる。
ここで興味を惹かれたのが、デカルトの登場によって現れたクンストカマーへ新たな解釈だ。マヨールという医師によって「楽園回帰」というストーリーが付け加えられる。つまり、アダムの堕罪によって自然のあらゆる美について理解できなくなってしまった人間が、クンストカマーというミクロコスモスによって、失われた楽園へと回帰する未来への架橋となる、失楽園する以前に持ち合わせていた叡智へと至る道筋だという解釈である。確かに底なしの支配欲を宿命的な美談に仕立て上げるには非常に魅力的なプロットである。しかし、堕罪によって失われたものを探し求めるという物語は僕の能力ではわからないが、西洋文明の発展の根底に常に流れていたのではないかと想像する。
そして、それを引き継いだのがジョン・ロックのタブラ・ラサ=ホワイト・ペーパー概念である。つまり、クンストカマーは人の脳、意識の比喩でもあったのだ。クンストカマーに叡智を集めていく行為は、人が空虚で真っ白な精神から悟性を獲得していく過程のメタファーでもあった。そうした解釈が、クンストカマーを科学と自然と歴史が結びついた概念として発展させていく。本書によれば、今では翻訳の難しい、自然物からあらゆる人工物、機械までを含む、クンストカマーの壮大な歴史観の中で生じた「machinamenta=ある目的のために作られたもの」という概念があるほどなのだ。
様々なものが収集されていくクンストカマーであるが、面白いのは人工生命という観点である。人工生命といっても本物らしさ、自動人形やリアルな絵や彫像のことなのであるが、ルネサンス期には本物らしさをめぐって豊かな発展を遂げている。本書で初めて知ったのはベルナール・パリッシーである。リアルゆえにややグロテスクな爬虫類や水生動物が張り付いた皿は一度見たら忘れられない。昨今の現代アートでも陶器は非常に盛り上がっている印象だが、ルネサンス期にもこんな現代アートに引けを取らないぶっとんだ皿があったのかと衝撃を受ける。
またルネサンス当時に復権していたグロッタという人工洞窟も非常に興味深い。グロッタとは洞窟の意なのだが、コトバンクによれば、先史時代から地母神や水神、生殖神などと結び付けられていたり、古代では湧水のある洞窟が神祠としてあがめられていたりした経緯がある。更にそこに聖母マリア信仰が結び付けられ、ルネサンス期には洞窟は非常に重層的なコンテクストを持っていた。そこに古代の彫像や自動機械が一堂に会し、グロッタをはじめ、庭園、岩山を掘った人工洞窟ギャラリーなどが作られる。更にその奥には種物の貯蔵室や実験室が広がっていた。洞窟という自然、叡智、実験、人工物という歴史の交響曲である。やはり前近代における信仰とはすごいもので、今では考えられないほどのインスタレーションというか聖地を創造する。

話は逸れるが、こうした母なるイメージと洞窟が結び付けられる例として、以前訪れた出雲の加賀の潜戸(かかのくけど)を思い出す。お世話になってる金属加工会社の社長に連れて行ってもらったのだが、自分のような神秘主義的な方向性の人間なら大興奮できる数少ない場所かもしれない。
加賀の潜戸は遊覧船で洞窟を見に行く一種のクルーズだ。出船の時間を待って、いざ船に乗り込む。小さな湾を定員25名のなぎざ3号がバタバタとエンジンを唸らせながら進む。沖合に堤防が見え、漁船が停泊している。天気も良くて青く透き通った海を眺めながら、岬から潜戸が見えてくるのを今か今かと心躍らせる。齢70くらいの船頭のおじいちゃんの訛り全開のガイドが出雲の風に心地良くたなびいている。しかし、その日は少し風が強いらしく、フルコースは無理で短縮コースになってしまうとのアナウンス。自分も含め皆一様に残念がっていた。しばらくして一つ目に到着。潜戸は二ヵ所ある。揺れる船上から高さ数十メートルはあるかという洞窟を眺める。一つ目の旧潜戸には、脇に船がつけられるように小さなコンクリートの堤防があり、洞窟の中に歩いていけるような道も見える。中は賽の河原となっている。行く前に水子の霊が集まる場所という話を聞かされていたのだが、なるほど、海に突き出た断崖にできた巨大な裂け目は女性の陰部のようだ。神話とはこんな風景から生まれるのだろうかとぼんやり考える。この海は太古の昔から人の命を育み、同時に命を奪っていく場所なのだ。海の民にとって海は生まれた場所であり帰っていく場所というような素朴な死生観が、地球ができた時から絶え間なく続くゆりかごのような波の揺れを通じて伝わってくる。一つ目の潜戸を後にし、再び船は沖へ向かって進む。しかしのんびりした遊覧も束の間、堤防を越えると状況が一変する。急激に波が高くなり波を越えるたびに船首がしぶきと共に大きく上へ跳ね上がる。うねりをひとつ越えるたびに観光客のささやかな非日常を楽しむ笑い声が恐怖に満ちた呻きに変わっていく。急になぎさ3号がひらひらと舞う木の葉のように感じられてくる。波濤の間に沈み込む時には船の縁の数十センチ下には黒い海面が迫って来て、もう少しで海水が流れ込んできそうな勢いなのだ。余裕をこいていた自分も次第に顔がこわばってくる。70を超えるとみられるベテラン船頭の至って平静な語り口が余計に不安を煽る。「今日は少し波が高いですねー、右手に見えるのが、、、」え、本当はヤバいと思ってるんじゃないんですか?悟られないように冷静はフリしてるけど、実際内心焦ってませんか?ちょうど知床で遊覧船が沈没してしまった事件の頃だった。そんな疑念を持ちながらも、今はもはやその道50年(そう思いたかった)のおじいちゃんを信頼するしかないのだ。25人の命はおじいちゃんの長年の勘と舵取りにかかっていた。動きだけで言えば、はなやしきのジェットコースターにも満たないアトラクション。ただひとつ決定的に違うことは、救命胴衣を着ているというだけで命の保証がないということだ。たったそれだけのこと。たったそれだけの違いで本当の越えてはいけない非日常が目の前に迫っていることを実感する。これが本当に短縮コースなのか。短縮してこれなのか。これはサービスしすぎではないのか。船が波を乗り越えるたびに尻が宙に浮く。そして悲鳴が上がり、皆が船の手すりにしがみ付く。都会の安心安全に飼いならされた私たちはあの世の淵をのぞき見するようなこんな本格派のアトラクションに出会うことはそうそうない。ラフティング?バンジージャンプ?根本的に違う。あれは田舎に憧れる都市住民のように、安全が保障された作られた危険なのだ。猛威を振るう加賀の潜戸はそういった質のものではない。沖合で巨大な波にのまれまいと必死でバランスを取る小舟から恐る恐る視線をあげ岬の岸壁を眺める。ようやく二ヵ所目に到着する。激しく上下を繰り返すなぎさ3号。大きなうねりを伴った美しすぎる紺碧の海がちっぽけな人間どもに畏怖の念を呼び覚ます。さっきまでの穏やかな海ではない。まるで黄泉への入り口を見ているようだ。僕は恐怖と共に興奮が入り混じっていたが、船上では客の心の叫びが水子の声と共鳴している。船長、もう洞窟とかどうでもいいから早く帰らせてください。。短縮コースと言われてがっかりして悪かったです。。黄泉の国を前にしたらそれが普通の反応かもしれない。70を超える船頭はそれでも仕事をきっちりと果そうと船をなんとその場で旋回させ始めた。波を直角に乗り越えていた船の腹に横波をモロに受けはじめる。え、これは転覆するパターンじゃないんですか?ふわっと宙に尻が浮くたびに荒磯に打ち付けられ藻屑と化す自分の姿が浮かんでくる。家族を食わそうと漁に出て亡くなっていった幾多の人々が脳裏に浮かんでは消える。大きく横に倒れる船。波にかき消される悲鳴。旋回はようやく黄泉の国への入り口の遊覧を終えて帰るところだった。帰路に着き、船上が安堵の空気に包まれる。かなりギリギリまで攻め込んで楽しませてくれた船頭さんには感謝する。ちょっとした危険でなんでもかんでも中止というのが昨今のつまらない風潮である。大自然に翻弄される小舟から見る洞窟は、少し霞んで私たちのような浮かれた観光客のいる世界とは異なっていた。歓迎も拒絶もしていない、生も死も当たり前のように幾度となく繰り返されて来たゆるぎない厳然たる事実のようなものがそこにはあった。フィクションだらけの世界で、生の実感というやつだろうか。スマホでいくら情報を入れても自分というものなどはどこにもないのに、転覆しそうな船から見る洞窟の奥に見える光には何か確かなものを感じた。波が穏やかな日であれば潜戸の中まで入れるようだ。(※ちなみにこちらは個人の感想ですので、過度な表現も含まれているかもしれません。。)

完全に本の感想を書いていることを忘れてたが、クンストカマーとは全然関係ないのですが加賀の潜戸は超オススメだ。

グロッタのような方向へも派生進化するクンストカマーは、更にひとつのユートピアへとイメージを膨らませていく。哲学者フランシス・ベーコンのユートピア小説「ニューアトランティス」に出てくるソロモンの館は空想上の巨大なクンストカマーだ。彼は実際にクンストカマーを四つに分類し、女王エリザベス一世に提案している。あらゆる時代と民族についての図書館、あらゆる植物が繁茂する植物園、あらゆる動物が住む動物園、賢者の石も作れる化学実験室である。

また、この頃には遊戯としての創造空間としてクンストカマーが位置付けられたりもする。自然が犯した誤りと驚異は神の遊戯の名残であるという考えがプリニウスの博物誌に残されている。こうした考えはベーコンにも引き継がれていて、彼もまた実用的なものだけでなく、遊戯の中にも価値を見出していたようだ。神が万物を創造したとして、仮に何かの目的に従って実用的なものだけを作るとすると、それは神の意志の実行する代理人になってしまう。すると神の遊戯を模倣することはできず、人間が神の似姿であることができないことになってしまう。神の悟性を模倣するためには、創造を実用的な目的に埋没させず、目的のない遊戯である必要があった。つまり、そこに芸術という競争を持続させる意味があったのだ。

しかし、18世紀に入ると状況は変化する。産業革命の時代に入り、科学的な進歩によって実用性が芸術を放逐するようになっていく。古代が過小評価され近代の優越性が説かれていく。芸術品は暇つぶしの贅沢品、芸術家の声などものの数ではないなどなど、厳しい言葉が聞こえてくる。まるで今の時代の私たちに向かって言っているようだ。おそらく当時も今も、こうした耳の痛い言葉には一抹の真理が含まれている。謙虚に耳を傾ける必要がありそうだ。

そうした科学的な視点の発達によって歴史的な連鎖よりも視覚的な類似性が重要視されるようになっていた。その影響でヴィンケルマンは古代彫像を様式史によって記述するようになる。そして同時に自然という基準の中に政治史という基準を持ち込む。つまり、自然と政治の風土が芸術の質や様式を生み出しているという解釈である。彼はその根拠を古代ローマに求めていたようだ。ローマ時代の共和制と民主的な自由が芸術を繁栄させているということだ。本書で触れられているわけではないが、神の遊戯の模倣としての芸術からヴィンケルマンの自然と社会の表徴としての芸術様式という考え方は、モダニズムへの幕開けを予感させるものがある。日本美術ではなく西洋美術を学校で知らず知らずのうちに学ばされる日本人にとって、モダニズムが生じた理由というのは本当に理解が難しい。美術が休憩時間になるのも無理はない。敗戦によっていまだに捻じれた美術教育を日本では受けているのだから。しかし、ブレーデカンプの本著作はモダニズムに関するヒントを与えてくれる。文化の発展とは異文化交流である。置かれた状況を俯瞰しながらその価値を探すことが肝要なのだろう。

最後に本書はフーコーの批判で締めくくられている。このくだりは自分には少々難しくてわからないのだが、おそらくエピステーメーのような構造的な考え方が人間らしさを相対化し、文脈を相対化することで、クンストカマーが生み出した来た余技としての芸術という価値を根無し草のようにしてしまうという意味だと解釈した。日本で明治期に突然接ぎ木された西洋美術史は、村上隆風に言えば実はARTではなくアートを生み出したのであり、そうした捻じれも一種のプラトンの操り人形の譬えのように、マリオネットの持つ人工的な優美という可能性を持つのかもしれない。でも少なくとももっと積極的に私達が私達自身や今いる場所を市民として愛し、リアリティと自信を持って提示していくことは、ヴィンケルマンがローマ時代に憧憬を抱いたように、ミクロコスモスとして楽園の叡智を追い求めるクンストカマーが教えてくれている知恵なのだろうと思う。

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