空白な私が社会に根ざした私になるまで(願望)の話①〜空白の三年とアニメ•ネット小説〜

 高三の一年と仮面浪人の二年を合わせて空白の三年と読んでいる。何が悪いのではなく、何も生まなかったという意味で。もちろんいくらでも変えようはあった。反省すべき点はいくらでもある。しかしそうあるのが自然だった。そうして当然の結果がついてきた。それだけの話だ。

 空白の三年の間、私は大学一年を2回繰り返した(休学したので留年したのだ)。その間、ほとんど大学生活というものを送らなかった。サークルにも入らなかったし、ほとんど勉強もしなかった。友達も作らなかった。何もしなかった。そうして結局現役合格した大学で二年生になった。進級した私は少し焦って、かろうじて一つゆるいサークルに参加することが出来た。(奇跡的だった。メンバーの人格がよく出来ていて、私に一歩踏み出す勇気をくれたという意味で。)そして今、将来について少し、思い悩んでいる。

 空白の三年と呼ぶのは成果が出なかったからというだけではない。その三年が経った後、私は私を構成する全ての要素が薄まり、あるいは遠ざかったことを自覚した。大切だったものは遠く朧げで、かつて感じていた親近感をほとんど感じられなくなっていた。この三年間で私はかつて私が好ましく思っていたものから離れ、二つのものにずっぷり浸った。ほとんど病的な時間を使った。それは癖と化して今も続いている。アニメとネット小説への傾倒だ。

 最近は趣味を聞かれることが増えた。聞かれると少し困ってしまう。かつては読書と答えていたんですけど……、最近はあまり読んでいなくて。寝ることと…………あ、アニメですかね。大抵こんな感じで答える。アニメと答えるものの、私にとっては現実逃避の手段であり、趣味と言えるかは疑わしい。アニメは現実逃避の特効薬のようなものだ。部活動もの(青春もの)を除いてほとんど全てが設定からして現実から離れている。アニメは寝そべりながら長時間眺めるのに最適である。現実から意識を切り離し、過度に画面に集中することができる。しかも、画面の全てが美しい。ほとんど(少なくとも表面的には)人間の身体的要素が除かれ、現実味がない。画面に人間の体は映らないし、現実のものは映らず、音楽は美しく(あるいは効果的で)、声は耳通りが良い(耳触りが良いというわけではなく、その世界観に背かないという意味で)。これがドラマとかだと(こういう見方が好ましいものかは置いておいて)画面に映るのは現実のもの•場所•俳優であり、自分を相対化してしまう。そして大抵嫌な気分になる。
 アニメをフィクションのフィクション(フィクションの中でも特に現実味がない=フィクション)として受け止めてしまうのはもちろん私に原因がある。アニメを愛し、趣味としている人々はそのバックグラウンド(技術や作り手)を愛し、モデルを愛し、舞台を愛し、コラボ商品を購入している。そこには一大コンテンツとして立派な社会との繋がりがある。作り手の掛けた膨大な熱量と技術と資金を度外視し、ただ受動的に、暗い部屋で一人、時間浪費と現実逃避のために消費する私に問題がある。アニメの作り手や趣味とする人々に顔向けが出来ない。これでは趣味とは言えないのではないのかとそう思う。

ネット小説にも同じような特徴を感じている。私は異世界転生物ばかり読んでいたし、現実世界の恋愛においても主人公最強ものばかり読んでいた(サイトのランキングで長編ばかり検索していたからでもある)。どこまでも続くし、どこまでも現実味がなく、どこまでもエンタメ性が高い。簡単には読み終わらないものが多いし、いつでもどこでもすぐ読める。

私がここで書いたのは、あくまでアニメやネット小説を空白な私がどう受け取っていたのか、ということを残すためである。もちろん私の受け取り方に問題がある。それでも空白の三年の間最も時間をかけたのはこの二つのコンテンツだったわけだし、本当に病的な時間熱中した日も多かった。いわば空白な私が、空白なままその事実と向き合うのを避けた時間であり、空白の三年の象徴だ。そんなわけで今回はこんな話を書いてみた。

もちろん、コンテンツに問題はない(少なくとも私はどうこういえる立場にいないし、むしろありがたく享受している立場だ)。個人的な状況において個人的な受け取り方をしていたわけだし、そこには受け取り方という問題が聳え立っている。同時に、もちろん偉そうなことは言えるわけないけれども、受け手側の受け取り方の問題というのはある意味で普遍的ではないかとちょっぴり思ったりする。つまり、似たような受け取り方をしている人だっているんじゃないかと思う。それはとても勿体無いことだし、何というかやはり現実を度外視している気がする。ここで書いたところでほとんど誰にも読まれないわけだけれど、こういう問題意識は私が社会に対して提示できる初めてと言ってもよいものな気がする。自分の受け取り方で真剣に悩んでいる人だっているかもしれないし、部屋の中でこもってアニメばかり見ている人が一人もいないってこともない気がする。だから、そういう人がどうしてそういう時間の使い方をしてしまうのか、批判的になり過ぎずに冷静に考えることは大事だと思う。そして優しく提示することも、意味が全くないなんてことはないはずだ。当たっているかどうかは人それぞれだとしても。

noteを始めた時に、どうしようもない私をいつか笑えるように、と書いたような気がする。
少なくとも空白の三年の間の私より、社会に参加したい•貢献できる人間になりたいと思える分だけましなんじゃないかな、なんてそんなふうに思うのだけれど、どうかな。

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