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【閑話休題#34】温又柔『魯肉飯のさえずり』

こんにちは、三太です。

今回はこちらの作品を読みます。

この本を読もうと思ったきっかけはいくつかあります。
一つは最近、吉田修一作品に関連して、台湾をめぐる物語や映画をよく見ていたことです。
例えば、『路』、「海角七号」、「恋人たちの食卓」などです。
もう少し台湾について深めたいなという思いがあり、最近文庫化されたこの本を読もうと思いました。
また、解説が渡邊英理さんだったということもきっかけの一つです。
新聞や雑誌で渡邊先生の文章に触れる機会があり、それについてSNSで発信すると先生からコメントをいただけました。
そこから一気にファンになってしまい、もうこれは読むしかないなと。
作者の温又柔さんについてはまだ一度も読んだことのない作家さんだったので、そういう意味では良い出会いになればいいなという思いもありました。


あらすじ

日本人の男性と結婚した台湾人の母とその娘の物語。
章ごとにこの二人の視点が変わって、巧みに物語は進みます。
まずは娘の桃嘉。
彼女は夫である柏木聖司との関係で悩みを抱えていました。
台湾にルーツを持つことに対して夫は明らかな差別をするわけではないですが、なかなか尊重しようとしてくれません。(しようとしているのかもしれませんが、結果として彼女を傷つけます)
彼に対する悩みはそれだけではありません。
それに加え、夫の家族から受ける子作りへのプレッシャー。
桃嘉は我慢の限界に達し、身体に変調をきたします。

もう一人は台湾人の母、雪穂。
台湾でのもとの名を秀雪と言います。
仕事で台湾に来ていた日本人の茂吉と出会い、結婚し、茂吉の栄転に伴い日本に来ることになりました。
彼女は自分が台湾人であることによって、子育てにおいて悩みを抱えていました。

二人はそれぞれ悩み苦しみながらも自分の道を切り拓こうとしていきます。

本の裏表紙の紹介文を引用します。

大学卒業後、就職から逃げるように結婚した桃嘉。台湾人の母に祝福されるも、理想だった夫に一つ一つ「大切なもの」をふみにじられていく。子どもの頃の「傷」に気付くとき、母の一生が桃嘉の心を揺らし・・・。台湾と日本のはざまで母娘の痛みがこだまする、心温まる長篇小説。織田作之助賞受賞作。

感想

本書のテーマは多岐にわたります。
アイデンティティ、女性、親子、言語、普通・・・などなど、もしかして他にも挙げられるかもしれないですが、読み手によって引っかかる箇所は違うのかなと思いました。
そして色んなひっかかりを読者に提供できることが本書の良さだと思います。

私にとっては、小学生ぐらいで普通にこだわってしまう気持ちがひりひりと伝わりました。
本書では桃嘉が、母親が台湾人であることに「周りと違って嫌だな」と思ってしまいます。
大人になればそれが自分の個性や持ち味と言えそうなことも、子どもの頃はなかなかそう捉えられないように思います。
少なくとも自分はそうでした。

また、さえずりのように聞こえる台湾語、台湾語と中国語の微妙な違い、日本語へのこだわりなど言語に対する繊細な目配りも特徴の一つです。
特に日本語へのこだわりについては「ふつうの料理」(p.28)、「幸い」(p.29)、「女の子たち」(p.32)、「今のうち」(p.64)など桃嘉が聖司の言葉遣いについて一つ一つ気になる場面が印象的でした。
そんな細かいこと・・・と思えなくもないですが、その言葉遣いの端々に見られる感情みたいなものが気になる(嫌に感じる)んだと思います。

テーマを大枠で捉えるなら、「普通という名の圧力」に晒されている人間の物語なのかなと思いました。
そういう意味では村田沙耶香さんの『コンビニ人間』とも通じ合うものがあります。
その圧力のもと母と娘は悩み苦しむのですが、ほのかに希望も見えます。
読み終わって、未来に向かいもう一度歩みを進められそうに感じました。

章ごとに語り手が変わることで、謎を残しつつ、別の語り手の章でその謎が分かっていく展開は読み物としてシンプルに面白かったです。
 
隠し味八角魯肉飯秋日和

他の台湾に関連した作品との共通点

・戦後に台湾から引き揚げてきた日本人のエピソードは『路』にも「海角七号」にも出てきました。

今回は温又柔『魯肉飯のさえずり』の紹介でした。
テーマがたくさんある本であり、再読するとき、次に自分はどこに引っかかるかが楽しみです。
 
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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