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すべては吉右衛門だった、という話

*タイトル画像は書籍『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』表紙。

わたしは、どうして歌舞伎が好きなのだろうか?
この疑問を、歌舞伎が好きと言い始めて約30年で初めて抱いた。

よくよく思い出してみたら、
「べつに、最初から歌舞伎が好きなわけではなかった」。

自分にとっては衝撃だけれども、何かを好きになるきっかけとしてはありがちな(?)話である。

わたしにとって、特別な歌舞伎役者は3人いる。

2代目中村吉右衛門、4代目中村雀右衛門、5代目坂東玉三郎。

この3人の並びは好きの順位ではなく、3人について言うなら、わたしが芸に触れた順だ。

初めに、NHKのドラマ「武蔵坊弁慶」があった。

武蔵坊弁慶を演じたのは中村吉右衛門、義経は川野太郎、静御前は麻生祐未、弁慶の恋人玉虫は荻野目慶子。

わたしは、吉右衛門の、大きく強く、優しく、愛嬌溢れる弁慶に見惚れた。
玉虫と接するときのウブな弁慶の姿に、頬が緩むのを抑えられなかった。
この役者は誰か?と家族に訊いて、中村吉右衛門という、歌舞伎役者だと知った。

その後、やはりNHKのドラマで、中村勘九郎(のちの18代目中村勘三郎)を知った。「武田信玄」での今川義元役だった。

聞けば、中村勘九郎も歌舞伎役者だという。

こんなすごい人ばかりでやっている「歌舞伎」とは、いったい、どれほど素晴らしい芝居かと、興味が湧いた。

それがあって、教育テレビ(当時は「Eテレ」なんてオシャレな言い方はしていなかった)で歌舞伎の放送を見るようになった。

時代劇は好きだったし、歌舞伎のセリフはゆっくりしているから、大筋はわかる。
やっぱり、面白かった。
歌舞伎役者ってみんな、普段から月代(さかやき)があるんじゃないか?と思うほど、歌舞伎に登場する立役は遠い時代の匂いがして、しっくりきた。

しかし、わたしを苦しめたのは、「女方」の存在だった。

見始めたばかりのわたしは、「女方」をどう理解していいのか分からなかった。

テレビドラマでは可憐だった静御前も、歌舞伎では明らかに男性。
しかも、化粧していてもはっきりわかるほど、お爺さんがやっている(ことが多い)。

女性役も男性がやる伝統芸能だ、と言われても、子供だったわたしには容易には呑み込めない。

吉右衛門、幸四郎(現在の2代目白鸚)、勘九郎(のちの18代目勘三郎)にワクワクしても、「女方」が舞台に現れると途端に「これは作りごと」という現実に引き戻される。
それが不満だった。

ところが、ある演目をテレビで見ているとき、その女方に、不満というより物足りなさを感じる自分に気がついた。少しして思った。

「今日、あの雀右衛門っていうお爺さん(失礼)がいない」。

ショックだった。

その演目に雀右衛門が出ていなかったことではなく、自分の気持ちがショックだった。

見るたびに、「どう見たってお爺さんでしょ。これが若い娘って無理あるわ~」と思っていたはずが、「今日、雀右衛門じゃないのか」と、ガッカリしていることに気がついたからだった。

自分に何が起きたのか分からないショック、動揺だった。
いまも、明確にどういうものと説明できない。

しかし、実際の年齢や容姿を超える、そういう芸の力があることを確かに感じ、わたしが「女方」の存在を受け止められたのは、4代目雀右衛門がいたからだった。

それから何年経ったのか。
盟三五大切かみかけてさんごたいせつ』を見た。

「何をじゃねェわナ」。
夕涼みの舟の上、4代目雀右衛門の芸者小万が、団扇をあやつり言う。
船頭三五郎は中村勘九郎(のちの18代目勘三郎)。

映像を見ていたわたしは、川面からのぼるぬるい水の匂い、そこに混ざって団扇の風で送られてくる、小万のおしろいの香りを想像してクラクラとした。

やはりこれだ、と思った。

この人を観に行かなければ、間に合わなくなる。
何に間に合いたいのか、よく分からなかったが、とにかく凄まじい焦りがあり、親に頼み込み、歌舞伎座へ行くことにした。

4代目雀右衛門の『本朝廿四孝』「十種香」の八重垣姫を観て、わたしはとても満たされた気持ちだった。

恋に恋する、うら若き乙女、深窓の令嬢(お姫様)がそこにいた。
目に染みる赤の着物の袖を振り回し、どうかこの人と添いたいとうったえる。

雀右衛門はお爺さんである。しかし、誰よりもお姫様である。

歌舞伎の「女方」を、わたしなりに呑み込めた、見方が分かったと思った。
こうやって「女方」を乗り越えたわたしは、「でも女方はちょっと」という注釈をつけずに「歌舞伎が好きだ」と言えるようになった。

その満足の先、「観続けずにいられない」魔界へ連れて行ったのは、5代目坂東玉三郎だった。

『天守物語』の富姫。

雨に濡れた蓑を手ではらりと流して、「似合ったかい」。

ああ、人間ではないな、と思った。

富姫でなく、玉三郎のことだ。

学生の頃、授業のためもあって泉鏡花の作品をいくつか読んでいた。
煌びやかで妖しく美しく、同時に痛烈で恐ろしい作品ばかり。
ルビを含めた活字まで美しい泉鏡花の作品は、現実の舞台や映像にするには完璧すぎる、と思っていた。
読み手が文字から想像する完璧な美の世界を、他人が形にして納得させることなどできないのでは、と。

ところが目の前に、富姫がいる。

そうか、完璧な人がやる、という手があるのか!、と玉三郎を見て思った。

吉右衛門がいて、雀右衛門がいて、玉三郎がいる、歌舞伎という舞台。
あらゆる奇跡が起きる場所。

過去のどんな名優に間に合っていなくてもいい、今ここに間に合うために自分はいるのだ…とは大袈裟だけれど、とにかく、この時間を逃してはならない、と思った。
もう30年近くも前のこと。わたしの、歌舞伎座に通う10年間は、そこから始まった。

ずいぶん長い話になってしまったけれど、わたしは、初めから歌舞伎が好きだったわけではなかった。

アイドルの誰かを好きとか、このキャラクタが好き、と全く同じ。

2代目中村吉右衛門が好きだったのだ。

『鬼平犯科帳』では梶芽衣子の「おまさ」になりたいと心から思ったし、『俊寛』と絶海の孤島に残りたかった。
松王丸(『菅原伝授手習鑑』)は最高の夫、松浦の殿様(『松浦の太鼓』)に仕えたい、又平(『吃又』)に「かか」と呼ばれたかった。

すべてはそれが、吉右衛門だったからだ。

もはや錯乱のような「吉右衛門が好き」があって、その吉右衛門が歌舞伎役者だから、歌舞伎を見て、歌舞伎を好きになった。

4代目雀右衛門が亡くなり、2代目吉右衛門も亡くなった今、当時わたしを惹きつけた歌舞伎は、もうない。
当時のわたしが、もう居ない、と言うのが正しいのだろう。
役者は誰もが唯一無二だし、わたしの時間も止まらず流れるから、きっと当然のことだ。

それでもわたしはまだ、歌舞伎を見ている。

長い時間の中で、吉右衛門と歌舞伎のイメージはわたしの中で一体化し、「歌舞伎が好き」という言葉にまとまっていたが、心のどこかはきちんと憶えていて、疑問を投げかけている。

吉右衛門がいない舞台と、自分自身に向かって問う。
わたしは、どうして歌舞伎が好きなのだろうか。

以前とは違って、劇場へ行く前にしつこく予習するのも、文楽を見ることも。
約30年前とは違う「どうして」を、いまの歌舞伎に見つけたいと、期待しているゆえかもしれない。

長文にお付き合いくださって、ありがとうございました。

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