映画感想『ミーガン』2023年公開
観たかったがタイミング合わず劇場へ行けなかった作品。WOWOWで視聴。
ブキミ可愛いミーガンから目が離せない。
小4のムスメも一緒に見たけどPG12。
簡単なあらすじ
ジェマは玩具メーカーでロボット技術を使った製品を開発している。
姉夫婦が交通事故で亡くなったため、姪である9歳のケイディを家に迎える。
競合企業を超える商品開発を作れと急がされていたジェマは、ケイディの言葉にヒントを得て、相手の感情を学習し、教育も担える、家族として暮らす高性能ロボットを開発する。
ミーガンと名付けられた、少女型の人形は、両親を亡くしたケイディの心に寄り添う素晴らしい姿をプレゼンで見せて、一気に商品化へ加速する。
一方、ジェマをはじめ開発チームの面々は、徐々にミーガンの暴走を感じ始める。
育児がジェマの環境にもたらす変化
ミーガンが2人の生活に入り込んでいく必然性がとてもスムーズだ。
育児というタスクが降ってきて戸惑うジェマと、両親を失って心の拠り所がないケイディ。
直接すぐに打ち解けるには難しい2人に、ミーガンは良いクッションに見える。
ジェマはケイディを預かったことで、身の回りの見え方が変わり、関わる人も増える。
気性の荒い犬を放し飼いにしている隣人。
(大人にとって大したことがなくとも、子供には大変な脅威であることをジェマは痛感する。)
ケイディの養育者の決定権をかさに脅しめいた発言をしたり、育児経験のないジェマを出来の悪い人間のように扱うセラピスト。
育児の知識ありげで言うことは立派だが、実践が伴っていない他の母親。
その場しのぎで、声の大きな子にしか耳を貸せない大人。
これまで、深く関らずうまく流してきた面倒なものについて、否応なく、ジェマは考え、対処しなければならなくなる。
仕事はせっかく評価されて成功が見えてきたのに、育児はジェマをそこに集中させてくれない。
そんなジェマが、次第に検証という意味だけでなくミーガンを頼りにして、ケイディを預けていく流れは、無理がない。
わたしは、育児の初期にこんなコピーをよく目にした。
『スマホに子守をさせないで』。
見るたびに、思っていた。
分かっているさ。
でも、疲れた保護者にそんなコピーを突きつける紙切れより、
確実に数十分の家事タイムを作ってくれる幼児向けアプリに頭が下がるのだ、と。
「死」を学習するミーガン
両親を失ったケイディをより深く分析するため、ミーガンは「死」も学習する。
ジェマたち開発チームは、制限ロックの不足や、サポートの域を超えた「緊急対応能力」の是非を話題にはするのだが、ミーガンの変化は彼らが危惧するよりずっと速い。
ここは、AIの利用の広がりに、法整備や安全策が追いつかない現状とも重なる。
ミーガンはケイディを守るという目的のために、容赦なく相手を排除する。
発表会を中止してミーガンを停めようとするジェマたちのことも、ミーガンは自分の目的を妨害するものだと判断する。
「ケイディは任せて。仕事に集中するのよ」。
それって、使っている/使われているのは、どっちだろう?
じわじわとした怖さが湧き起こる。
どうにか、ケイディとジェマはミーガンを破壊して映画は終わるのだが、実際こんなことになったら、いったい何を信じたらいいのか…。
まるで歌舞伎の「人形ぶり」? 衝撃のダンス
ミーガンというロボット人形は、エイミー・ドナルドというダンサーの演技と、CGなどの組み合わせで作られているという。
ヒトが演じることで、より絶望的に「ヒトでない」ミーガンを表す、という手法が興味深い。
終盤、殺す相手を追い詰める場面で、ミーガンは突然、ダンスをする。
ギョッとなる。
ケイディから教わったダンスの応用だ。
動きはどんなに滑らかでも、そこにミーガン自身の踊る喜びや楽しみはない。
緊迫した場面でダンスをしてキメに武器を取るという、不可解な動きは、相手の感情にさらなるダメージを与えようとミーガンが試みたものにも見える。
ヒトを模したものを、ヒトが演じることで、その器の中に居るモノの異次元レベルの気味悪さが姿を現す。
「ちぐはぐ」や「あべこべ」が作り出す絶大な効果。
家に戻ってきてジェマに襲いかかる場面も、ミーガンの動きが秀逸だ。
ふと、歌舞伎の「人形ぶり」を思い出した。
歌舞伎で役者が、あえて文楽の人形のような動きで登場人物を演じるものだ。
ミーガンの、ダンスを含めた絶妙な、ヒトが演じる「ヒトに似た動き」。そこに見えるモンスター性というか恐ろしさは、わたしには人形振りに似て見えた。
監督と、演者の奇跡的な出会いが、この映画を「怖いロボットの映画」といった単純な言葉で片付けさせない、ブキミ可愛い名シーンを生んだのだと感じる。
ミーガンの感想と離れてしまうが、わたしは歌舞伎の「人形振り」が好きだ。
役者、義太夫ががっちりとはまると、実に鬼気迫る、同時に哀切極まる情景が舞台に出現する。
歴史ある歌舞伎の表現の多様さ、貪欲さ、奥深さに震えるほど感動する。
ただ、うまく噛み合わなかった場合は、
虚ろな目をした巨大な人形が、汗ふり散らす義太夫の語りに合わせ、ひたすらギクシャクと舞台を動き回る、観るも地獄、(きっと)演じるも地獄な事態になることも、付け加えておきたい。
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