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春のような温かさがいつもある学校に…心の宝物07

伝統の「挨拶」活動 でも…

「挨拶」の活動が、この学校の「宝物」として引き継がれていました。

 「いつでも、どこでも、離れていても、その人の名を呼んで、後ろからでも、何度でも。優しさと温かさがいっぱいの学校をつくるために。人とよくつながることができる自分をつくるために。そうして、自分と大切な人を幸せにする力をつけるために」

歴代の先生方と子どもたちで大切に続けてこられた心の教育でした。しかし、新型コロナの感染防止の観点からすると、迷いが生じる活動でもありました。

今、挨拶なんて、していいの?させていいの?


 マスクをしているとはいえ、できるだけ会話を控え、互いの距離を空けて登校してくることを指導する傍らで、元気な挨拶を奨励することは矛盾です。

「大きな声の挨拶なんて、していいんですか」

児童からも、職員からも迷いや不安の声が伝わりました。

彼が、答えをくれた


 このとき彼は6年生。感染予防と不安で、多くの児童が、うつむくように登校してくる中、校門のはるか下から、元気に大きな声で挨拶を届けてくれました。

どんなことにも自分の考えをしっかりと持ち、そうと信ずれば私たち教師に直言することも怯まない彼に、思うところを尋ねました。

「挨拶は学校の宝物です。せっかく続けてきたのに、コロナでそれがなくなってしまうのは悔しいです。今だからこそできるように頑張りたい」


 元気な挨拶を奨励することを、全く悩まなかったと言えば嘘になります。しかし、温かい学校文化に支えられた心の安全があってこそ、自ら判断して行動する力が育ち、それによって身体の安全が保たれる。そう信じてもいました。


 有名人が亡くなるなど、見えない恐怖と不安が世の中を覆っていました。いのちを守ることは、コロナの有無にかかわらず学校における最優先事項です。しかし、判断軸の荷重が、感染予防にかかりすぎると、それならあれもだめ、これも中止と、ドミノを倒すように、連鎖的に多くのことが、禁止・抑制の方向に雪崩れていきます。そうしないと、指導する側の辻褄が合わなくなるからです。それは校風の沈滞や、児童の心の閉塞感につながり、感染よりももっと深刻な問題を引き起こしかねません。


 彼のおかげで、迷いがさっぱりと消えました。


 今の状況に正解はない。苦境に違いないが、一方で、よりよい生き方を自ら考え、試行錯誤しながら学んでいく絶好のチャンスでもある。感染予防と教育活動の充実をどちらも諦めず、貪欲に求めていこう。それが最適とわかったなら、朝令暮改も怯まず断行する。常に新鮮に、最適解を求めていこう。そう先生方にお願いし、保護者にも理解を得ました。

彼のエピソードと共に、児童にも同じことを伝えました。

「コロナだからやめる」のでなく「コロナだから工夫してがんばる」

 彼から、今のコロナという状況をどう生きていくのかについて、頼もしいヒントをもらったよ。ありがとう。だから、元気で温かな挨拶を、今はしない方向で考えない。みんなで大切にしていこう。でも、感染予防にも十分に注意しよう。向かい合うときなど、状況によって、自分で考え、したほうがいい、しないほうがいいと思う方法を、その時々で選び取ってほしい。

 難しいことを言っているよ。でも、君たちの考えて行動する力を信じているよ。


 かけがえのないあなたへ

 きらめきをありがとう

 出会ってくれてありがとう

 生まれてきてくれてありがとう

 どうかありのままで

 どうか 幸せで


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