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湖の女たち

公開2日目の土曜日に、しかも晴天の日に見に行ったのに観客は私を含めて6人。おそらく、この映画の不入りは確実だろう。しかし残念だとは思えない。以下にこの意欲的な映画の不入りに同情できない理由を書いておく。

 
1.   映画の内容が観客の(私の)期待を裏切る
 
私は事前にこの映画をミステリーでもあり、ノワールでもある映画なのだと期待をして見に行った。しかし実際には、この映画はミステリーでもないし、ノワールでもない。日本社会で(特に事なかれ主義が蔓延する組織で)絶望し、疲弊していく男女の群像劇として見るのが正確だと思う。
 
2.  群像劇としても成立しない
 
ならば群像劇として優れているかというと、そういう緻密な脚本にもなっていない。
この映画は若い刑事と介護職員の女性との歪んだ性愛と、政治的圧力で過去に隠蔽された薬害事件の真相を暴こうとする新聞記者の女性の奮闘とが、パラレルに二本立てのように進行していく構成になっている。
 
つまり物語の主役はこれら3人の男女であり、彼ら以外の人物像が丹念に描かれているわけでもない。
ではこの3人に共感して物語に入り込んでいけるかというと、そういう脚本にもなっていない。特に性愛パートを担当する男女ふたりに私はほとんど共感できなかった(映画の最後の方まで、こいつらはただのSMカップルじゃないかと思った)。
 
3.  性愛パートも腰砕け
 
映画の中で明らかに男女の性愛を描いているのに、刑事の不倫相手を演じる松本まりかは、結局一度もフルヌードにはならない(セミヌードには何度もなるが)。どういう大人の事情か知らないが、こういう曖昧な演出を許していると作品そのものの本気度が観客に疑われることを監督は知っておいた方がいい。ちゃんと演技が出来て、ちゃんと脱いでくれる女優は他にいくらでもいるのだから。
 
4.  話を広げすぎてこじつけに思える
 
現代の薬害事件の真相と背景を戦時中の731部隊にまで持っていくのは、やはり相当に無理がある(原作小説もそうなっているのかもしれないが)。生産性の有無で人間の価値を判断することの是非を問うという作品の主題を浮き彫りにするためだと思うが、私は唐突であり、またこじつけがましいと感じた。
 
5.  監督の演出スタイルと相性が悪い
 
結局、これが「湖の女たち」という映画がダメだった最大の理由だと思う。大森立嗣という監督は、絶望を経験して心が壊れた、あるいは壊れつつある人々の嘆きや叫びを劇的に演出する、というのがスタイルらしいが、私はこの「過剰な劇的さ」に生理的についていけなかった。作品のテーマが真摯なものであるのは理解するが、人間の描き方が作為的に感じてしまう。
 
 
 相性の悪い監督の映画を140分も見たのだから、苦痛を感じるのは当然だろうと思う。たぶん、ほんとうに優れた監督はこの程度の映画をミステリーやノワールとして、2時間前後の上映時間に仕上げてしまうのだ。それが出来ないから、俳優たちの過剰に劇的な演技や、不必要に長く重苦しい映像を見せつけられることになる。
 
 ところで、介護施設での高齢者殺人事件の犯人たちは、どうやって施設に入り、どうやって個室に侵入したのだろうか? 彼らに旧満州で行われた日本人による悪魔の所業を重ね合わせるより、この「どうやって」の部分をきちんと描くことの方がよほど大事だと思うのだが。
 

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